M4の導入
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/12 13:22 UTC 版)
第二次世界大戦後、イギリスに委任統治されていたパレスチナでは、ユダヤ人達が1948年5月14日付の期限切れと共にユダヤ人国家建国準備を進めており、同時に予想された周辺アラブ国家およびパレスチナ人勢力との戦争に向けて軍事組織ハガナーを中心に軍備増強を進めていた。しかし表立った武器輸入が禁止されていたため銃火器や非武装車輌の密輸程度に留まっており、砂漠での地上戦を制するのに必要な戦車の調達が急務であった。 そこでハガナーは、引き揚げのために港町ハイファに集結していたイギリス軍からM4シャーマンおよびクロムウェル巡航戦車計6輌を盗み出した。これらの戦車は、イスラエル独立宣言と共に始まった第一次中東戦争において貴重な機甲戦力となった。一時休戦時には、ハガナーを中心にイスラエル国防軍が編成され、世界中から中古M4をスクラップなどの名目でかき集めた。これらの戦車は砲に穴が空けられるなどして、兵器として再利用できないようになっていた。軍は、当初は金属の栓で砲の穴を塞ぎ、後にスイスで入手したクルップ社製1911年式75 mm 砲に換装するなどして、使用可能なM4戦車として復活させ、初期の機甲部隊の中核戦力とした。第一次中東戦争が終結してイスラエルが国家として認められると、完全な状態の車両や正規の部品・装備品も輸入できる様になった。 アメリカの高い自動車産業技術で製造されたM4戦車は、シンプルで機械的信頼性や各型の部品互換性も高く、また後に導入されるセンチュリオンと違い中東の砂漠地帯における運用上の問題も少なく、その後長期に渡ってイスラエル軍機甲戦力の中核を担った。なおこれらの車輌は75 mm 砲または105 mm 榴弾砲装備型が中心であり、3インチ(76.2 mm)砲装備型やイギリス軍が17ポンド砲を搭載させたファイアフライはほとんどなかったようである。そのためアラブ諸国のソ連製戦車にやがて火力において劣勢となり、更に装甲防御力不足も深刻な問題となった。しかし、エンジンや走行系の換装をしても重量的に攻撃力と防御力の同時強化は無理で、やむなく火力強化のみのアップグレードが図られた。
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