モシェレス

モシェレスは1794年5月23日、プラハに生まれた。ユダヤ人の卸売業の父は早くから息子に音楽を学ばせた。地元の二人の音楽家から手ほどきを受けたのち、1804年よりプラハ音楽院の院長ドニ・ウェーバーのもとでJ. S. バッハ、モーツァルト、クレメンティの諸作品を徹底的に叩き込まれた。生来のすぐれた記憶力と勤勉な練習は彼を急速に進歩させ、12歳のときには早くも地元で公開演奏会を開いて喝采を浴びるほどになっていた。更なる音楽芸術の追究を夢見たモシェレスは1808年、大都市ウィーンに移住する。この地で彼は野心ある作曲家ならば誰もが教え乞うた二人の作曲家A.サリエリとアルブレヒツベルガーの門を叩いた。 彼は強い関心を寄せていたベートーヴェンをはじめ古今の様々な作品に身を浸しながら作曲と演奏の双方に等しい情熱を注いだ。1815年に出版された《アレクサンダーの行進》作品32は「出世作」と呼ぶに相応しい成功を収めた。
チェコに生まれ、ドイツで活動した。作曲の他に、ピアニストやピアノ教育者、指揮者としても知られている。モシェレスの活動の中核をなすのはピアノ関連のものである。
プラハ音楽院でウェーバーに師事した。当時、完成したばかりのベートーヴェンのピアノ・ソナタに強い関心を示し、ウィーンに出てベートーヴェンのもとを訪れた。同地では、対位法をアルブレヒツベルガーに、作曲をサリエリに師事している。ピアニストとしては、当時、ドイツ国内の各地、パリ、ロンドン、プラハのどこへ行っても名声を博した。 ピアノ教師としては、ベルリンでメンデルスゾーンに教えている。ロンドン王立音楽院ではリトルフやタールベルクを育てた。メンデルスゾーンの創設したライプツィヒ音楽院では、主任教授に招聘された。ショパンとの交流もあり、ピアニズムの面では、切れのよい打鍵と、明快なフレージングで貢献し、練習曲も数多く作曲している。
指揮者としては、ベートーヴェンの《ミサ・ソレムニス》をロンドンで初演。
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