GMのバス事業への進出と電鉄産業
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「パシフィック電鉄」の記事における「GMのバス事業への進出と電鉄産業」の解説
スネルの報告書が不正確なものであることはこのように証明されているのだが、彼の報告が不正確であったとしても、実際には別の形で陰謀が進められていた可能性はある。1935年にゼネラルモーターズがバス運行を行う子会社であるナショナル・シティ・ラインズを設立したのは事実(ただし、GMや関連石油会社はこの会社の大株主であっても、安定支配できるだけの持ち株を有していなかったという説もあり、ナショナルシティラインズへのGMの影響力がどれほどであったのかについては不明)であるし、この会社は全米の複数の都市の路面電車路線を買収し、バスに置き換えている。この会社は一時期ロサンゼルスの路面電車運行会社、ロサンゼルス・トランジット・ラインズの大株主でもあった。 しかし、こうした事実も、詳細に調べると陰謀という名には値しない事は明らかである。ナショナル・シティ・ラインズが買収を行った路面電車路線は、人口数万から数十万人の小規模な都市のものが殆どで、1910年代の半ばには競争力を失っていたような路線であった。この時期に買収が行われたのは、1935年公益事業法で内部補助を伴う電力会社と路面電車会社の兼業が禁止され、電力会社による中小路面電車会社の支配体制が解体され、路面電車会社が新たな支配者を求めたからであった。ナショナル・シティ・ラインズの買収に関係なく、路面電車を廃止してバスに置き換える電鉄会社は多く、当時、「~エレクトリック・レイルウェイ」を名乗るバス専業の会社が無数に存在していたと言われている。 ナショナル・シティ・ラインズはフィラデルフィアやロサンゼルスの路面電車会社の株式を保有していたが、その支配力を用いて路面電車の廃止を行ったわけでもなかった。ロサンゼルスの路面電車はナショナル・シティ・ラインズによる支配中も存続を続け、残存路線はロサンゼルス都市圏交通局が全廃していた。フィラデルフィアの路面電車に至っては現在でも運行を続けている。無論、路線の削減は行われていたが、そのペースは他都市と変わらなかった。 利用者の自家用車への移行を促すため、ナショナル・シティ・ラインズの運行したバスのサービスの品質は故意に低く保たれたという言説も存在するが、その立証は難しい。パシフィック・コーチ・ラインズがパサデナ市内でパシフィック電鉄に代わってバス運行を行った際、ロサンゼルス - パサデナ間の電車の切符を持つ乗客への無料の乗り継ぎサービスはそのまま継続された。ナショナル・シティ・ラインズが支配したロサンゼルス・トランジット・ラインズでは、乗客誘致の為に、ショッピングセンター乗り入れ路線で、買い物客を対象にした運賃の割引を行っていた。こうしたサービスは、日本では先進的とされる事業者が近年実験的に取り入れるようになったサービスである。 ゼネラルモーターズはナショナル・シティ・ラインズの件で1950年代に独占禁止法で有罪判決を受けたが、それは、交通事業を営む子会社を設立することで、バス製造の独占を図ろうとしている件に関してであった。ゼネラルモーターズの公共交通への関与は全く否定できないものの、乗用車の販売を促進するためというよりは、自社で製造するバスの安定した販路を求めるために行ったものであると考えるのが妥当であり、この判決も、社会経済に大変動をもたらす陰謀に対するものというよりは、不公正な商取引を咎めたという類のものにすぎなかった。判決における少額の罰金をスネルは「名目ばかりの寛大な」と表現したが、判決によってゼネラルモーターズの公共交通運営は大幅に制限され、独占禁止法に対する判決としては決して寛大なものではなかった。実際、ナショナル・シティ・ラインズはこの時期を境に路線の展開を止めてしまっている。 また、ナショナル・シティ・ラインズは、公民権運動さなかのアラバマ州モンゴメリーのバスを運営していた事業者で、バス・ボイコットの一方の当事者でもあり(ローザ・パークスの項を参照)、スネルが報告書を提出した1970年代までに、その企業イメージが相当低下していた事が予想される。スネルの報告が受け入れられた背景に、こういった要素があることも考える必要があるであろう。
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