FUJIYAMA(フジヤマ)の歴史
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1998年 - FUJIYAMA(フジヤマ)のルールが発案される。 1999年 - FUJIYAMA(フジヤマ)評議会が発足する。 2004年 - ルールの完成度が高まったことを理由にルール発案者より大会開催が提案される。 2005年 - THE OPEN FUJIYAMA CHAMPIONSHIP 2005 開催山水ビリヤード支店において初めて公式な大会が行われた。エントリー数32名。優勝 塚本忍アマ アマチュア主体だったが、参加者は FUJIYAMA(フジヤマ)愛好者が多く、当時からすでに競技レベルが高かった。決勝は塚本忍アマとルディ・モルタプロで争われた。アマチュアの試合ながら手に汗握る展開で観客は盛り上がり、プロの試合を観たいという活動が始まった。 2006年 - ProjectFUJIYAMA実行委員会が発足する。 2007年1月 - ProjectFUJIYAMA(フジヤマ)「弐箇年計画」が立案される。 この弐箇年計画は、FUJIYAMA(フジヤマ)の商業化の可能性を検証することを主目的として、2007年2008年の2年間の行動計画としてまとめられたものである。 2007年6月 - FUJIYAMA公式ルールブック(第六訂版)が初めて小冊子として配布される。ルールブックは1998年から何度も検証と訂正が繰り返され、第六訂版の時に初めて小冊子として配布が始まった。 2007年8月 - THE OPEN FUJIYAMA CHAMPIONSHIP 2007 開催 山水ビリヤード本店において初めてプロが参加して開催された。エントリー数38名。内プロプレイヤー数10名 優勝 JPBA 西嶋大策プロ エンターテイメント化を目指し、観客が楽しむための実験がいくつも行われた。観て楽しむために作られたビリヤード競技は、この時初めて世界に発表された。 2008年3月 - THE OPEN FUJIYAMA CHAMPIONSHIP 2008 開催 初めて聖地である高田馬場・山水ビリヤードから離れて、新宿・ビリヤードハウス・サムタイムにおいて開催された。エントリー数38名。内プロプレイヤー数10名 優勝 JPBA 関川賢示プロプロが戦うFUJIYAMAは観戦する価値があると、期待が確信に変わった大会だった。これによって、正式に商業化への道のりが検討されることとなった。 2009年1月 - ProjectFUJIYAMA「参箇年計画」が立案される。 この参箇年計画は、FUJIYAMAの商業化のための下地を整えることを主目的として、2011年度のProjectFUJIYAMA実行委員会の収支を黒字化することと共に、THE OPEN FUJIYAMA CHAMPIONSHIP 2011の優勝賞金を100万円とすることを目標と設定し、2009年2010年2011年の3年間の行動計画としてまとめられたものである。 2009年3月7日 - THE OPEN FUJIYAMA CHAMPIONSHIP 2009 開催。 なお本大会より初めてコスプレ系飲食店の老舗であるミアグループよりコンパニオンとしてのメイドの派遣が実現した。 優勝 エフレン・レイズ 準優勝 JPBA 曽根恭子プロ 3位タイ JPBA 芳賀秀崇プロ JPBA 水下広之プロ 2010年3月27日 - THE OPEN FUJIYAMA CHAMPIONSHIP 2010 開催。 なお昨年大会より引き続きコスプレ系飲食店の老舗であるミアグループよりコンパニオンとしてのメイドの派遣が実現した。 優勝 JPBA神箸久貴プロ 準優勝 JPBA 赤狩山幸男プロ 3位タイ 台湾 羅立文プロ JPBA 平野義典プロ
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