F1参戦以後とは? わかりやすく解説

F1参戦以後

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/04 20:32 UTC 版)

ステファン・ベロフ」の記事における「F1参戦以後」の解説

1984年 ティレルからF1デビュー果たしたこの年ティレル自然吸気エンジン使用していたが、F1ではハイパワーターボ・エンジン主流になっており、非力自然吸気エンジン使用していたのは、ティレルアロウズだけになっていた。シーズンが進むとアロウズBMWターボエンジン契約成功したため、ティレル最後自然吸気使用チームになったベロフは、第3ベルギーグランプリで6位に入り初入賞を記録すると、続く第4戦サンマリノグランプリでも5位に入賞した。 第6戦モナコGPでは、予選20位から追い上げ3位表彰台獲得。このレース豪雨のために31終了時点打ち切られたが、終了時ベロフ2位セナ13秒差、そしてトップアラン・プロスト21秒差につけていた。またこのレースでのベロフペースは、トッププロストより明らかに速くセナとほぼ変わらないものであった加えてセナスタート前にガソリン漏れ背中火傷しており、ギアボックスにもトラブル抱えていたため、『本来の周回数だった77周は無理でも、せめて全周回数75%である規定周回数の58周まで続いていればベロフ優勝しただろう』ともパドックでは囁かれていた。 ターボエンジンへの切り替わり遅れたティレル車両ながら入賞圏内複数ゴールし順調なデビューイヤーだったが、第8戦デトロイトグランプリにて、チームレギュレーション違反する行為により、エンジン出力挙げていたことが発覚(「水タンク事件」)。これによって、ティレル成績ドライバーチームともシーズン全成績抹消されシーズン終盤出場禁止された。 波乱のルーキーシーズンとなったF1と並行しそれまで通り世界耐久選手権にも参戦。この1984年シーズンの全9戦中5勝をマークしドイツ人初のチャンピオン輝いた1985年 F1には、前年不祥事によりスポンサーの殆どが撤退したティレルから参戦自身初陣となった第2戦ポルトガルグランプリでは、豪雨の中序盤マンフレッド・ヴィンケルホック接触してフロントウイング失いながらも6位に入賞した。また第6戦デトロイトグランプリでは4位に入るなど、戦闘力面で苦戦する中で奮闘していた。シーズン中は翌シーズン向けてフェラーリ交渉していた。 世界耐久選手権では、ポルシェワークスチーム離れプライベーターポルシェ・956参戦していた。

※この「F1参戦以後」の解説は、「ステファン・ベロフ」の解説の一部です。
「F1参戦以後」を含む「ステファン・ベロフ」の記事については、「ステファン・ベロフ」の概要を参照ください。

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