F1参戦・チーム売却
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/01 07:58 UTC 版)
「ペーター・ザウバー」の記事における「F1参戦・チーム売却」の解説
1990年代になるとザウバーはF1参戦への準備に入り、1991年の夏にはF1用車両の設計のためハーベイ・ポスルスウェイトが加入し、ヒンウィルにファクトリーを建設するにあたり、メルセデスが資金の一部を援助した。 1991年11月にメルセデスが自身の名義でのF1参戦を見合わせる決断をしたことで、ザウバーチームは1993年にザウバーチームとしてF1への参戦を開始した。この際、ドライバーにはJ・J・レートと、子飼いのカール・ヴェンドリンガーを擁し、イルモアによるエンジンを搭載した。この際、エンジンカバーには“Concept by Mercedes-Benz”の文字が付いたことから、メルセデス・ベンツのF1復帰として話題になった。 しかし、1994年限りでメルセデスが去りマクラーレンに移ると、1995年からフォードのワークスチームとなり、同時にマレーシアの国営石油会社ペトロナス、オーストリアの栄養ドリンク販売会社レッドブルがスポンサーとなったことで、安定した経営基盤を得ることになった。フォードエンジンを失うと、フェラーリのカスタマーエンジンを獲得し、サテライトチーム的な役割も演じた。 ザウバーチームは、ニック・ハイドフェルドとキミ・ライコネンを擁した2001年にランキング4位を記録した以外は、常にランキングの中団を維持し、F1で特に代わり映えのしない年を送り続けた。とはいえ、自動車メーカーのワークスチームを相手にしながら、資金的に不利なプライベートチームで一定以上の成績を残し続けたことについては、大いに賞賛に値する事実でもある。 ジョーダン、ミナルディなどプライベートチームのオーナー交代が続く中で、ザウバーも将来を見据えて2005年半ばにBMWへチームを売却することを決断した。自身はチーム代表の座を退き、しばらくはBMWザウバーチームの相談役(チームコンサルタント)という形でレース界に留まっていた。
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