F1参戦に至る経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/06 14:45 UTC 版)
「モータースポーツにおけるメルセデス・ベンツ」の記事における「F1参戦に至る経緯」の解説
空爆により工場施設を失ったダイムラー・ベンツだったが、1949年までには多くの施設を再建し、1950年にレース部門を再設置した。 戦後にAIACRを改組する形で設立された国際自動車連盟(FIA)はこの1950年から新たなグランプリレースとしてフォーミュラ1世界選手権を始めており、これは1.5リッターフォーミュラであったことから、ダイムラー・ベンツは当初、W165をアップデートして1951年から参戦することを目論んだ。しかし、FIAの下部組織でF1を統括していた国際スポーツ委員会(CSI。FISA(英語版)の前身)は、1952年までは新規開発車の参戦を禁止する。これは戦後復興の中にあった自動車メーカーに負担をかけないようにするためのものだったが、戦前のままのW165では、1940年代も車両の開発を進めたアルファロメオなどのライバルに対抗することはできなかったため、ダイムラー・ベンツはグランプリにすぐに復帰することは不可能となった。 ノイバウアーは1952年から参戦できるようにできないか、CSIに要望もしたが、フランス勢とイタリア勢の反対によりこれは却下され、F1への参戦は新規定が始まる1954年まで待つことを余儀なくされた。 そうした事情もあって、1951年6月に開かれた取締役会では、そもそもレース専用車両を開発しなくてもいいのではないかという意見が出され、スポーツカーレースにまず参戦するという方針となった。(→#300SL(W194))
※この「F1参戦に至る経緯」の解説は、「モータースポーツにおけるメルセデス・ベンツ」の解説の一部です。
「F1参戦に至る経緯」を含む「モータースポーツにおけるメルセデス・ベンツ」の記事については、「モータースポーツにおけるメルセデス・ベンツ」の概要を参照ください。
- F1参戦に至る経緯のページへのリンク