ECW時代
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「フル・ブラッデッド・イタリアンズ」の記事における「ECW時代」の解説
1996年、イタリア系アメリカ人であるリトル・グイドーとヴァル・プッシオ、そして黒人レスラーのJ・T・スミスのトリオで結成された。黒人選手がメンバーであるように、初期は従来のアメリカン・プロレスにおける民族ギミックのパロディ的な要素も持っていた(J・T・スミスはイタリア人を自称しておきながら、イタリアのアイスクリームであるジェラートを「薬の名前」などと言ったこともある)。 その後も、トレイシー・スマザーズ、マネージャーの "ザ・ビッグ・ドン" トミー・リッチ、ドイツ人レスラーのウルフ・ハーマンなどが、実際の民族的バックボーンに関わりなくユニットに参入(トレイシー・スマザーズは、自身のホームタウンであるテネシー州のナッシュビルをイタリアの都市だと主張し、出身地を "Nashville, Italy" としていた)。実際にイタリア系の出自を持つ選手では、巨漢のビッグ・グイドー(マイケル・サントーニ・ジュニア)がリトル・グイドーの弟と称し用心棒役で一時メンバーに加入したほか、ECW末期はトニー・ママルークがリトル・グイドーのパートナーとなり、2000年8月26日にECWタッグ王座を獲得した。 なお、2005年に行われた『ECWワン・ナイト・スタンド』において、ジェームズ・マリタートがリトル・グイドーの旧リングネームで出場した際、当時のF.B.I.メンバーの一部は彼のセコンドとして登場している。
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ECW時代
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「ケイン (プロレスラー)」の記事における「ECW時代」の解説
2007年に入ってからはグリート・カリやECWのビッグ・ダディ・Vと抗争。同年から2008年に掛けては何かと負けの多い(ビッグネームにしては珍しくジョバー的)待遇を受けていたが、2008年のWrestleMania XXIVのダーク・マッチでチャボ・ゲレロの持つECW王座への挑戦権を賭けた「24人バトルロイヤル」において優勝。本大会のチャボ・ゲレロとの王座戦では、試合開始わずか8秒でチョークスラムで瞬殺しECW王座を獲得した。この結果によってECWへと移籍となった。ジャッジメント・デイではチャボ・ゲレロとの再戦で防衛も果たした。 2008年6月のドラフトでECW王座を保持したままRAWへの移籍が決定する。同年7月に行われたナイト・オブ・チャンピオンズではマーク・ヘンリー、ビッグ・ショーを相手にトリプルスレット形式でECW王座の防衛戦に臨んだが、ビッグ・ショーを倒した隙にマーク・ヘンリーにスプラッシュを喰らい、そのままフォールされタイトルを失った。タイトルを失ったあとはヒールターンし、レイ・ミステリオとマスクを巡る抗争を展開する。
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