DOSの限界と開発の終焉
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/30 16:19 UTC 版)
「MS-DOS」の記事における「DOSの限界と開発の終焉」の解説
DOSは標準でグラフィカルユーザインターフェースやマルチタスク機能や仮想記憶を持たず、80386などの32ビット環境でも「高速な8086」としか使用できなかったため、DOSの拡張や次世代OSが待望された。 1985年にはDOSエクステンダーであるDESQview、同年にDOS上で稼働する「オペレーティング環境」としてMicrosoft Windowsが登場した。更に1987年には本格的なDOSの後継OSとしてIBMとマイクロソフトから OS/2 Ver. 1.0 が登場した。OS/2はDOSと同様に、IBMおよびマイクロソフトの両者から供給されたが、性能やDOS互換環境の問題もあり広く普及しなかったためDOSは継続して使われた。 1990年に日本ではIBM DOSのバージョン4からDOS/Vが生まれ、マイクロソフトもバージョン5からDOS/VのOEM供給を開始したため、日本でもPC/AT互換機の市場が立ち上がり始めた。 1993年のバージョン6からは、IBMとマイクロソフトのOS共同開発契約(OSクロスライセンス契約)が終了したため以後はIBMまたはマイクロソフトの単独開発となった。両者は基本部分の互換性は保たれているが、付属ユーティリティの相違などが広がった。マイクロソフトはこのMS-DOS 6を単体販売の最終バージョンとし、1995年のMicrosoft Windows 95以降は単体のDOSも不要となった。IBMはDOSの改良を続けたが、1998年のPC DOS 2000が最終バージョンとなり、2001年にはサポートも終了した。 2014年3月25日、マイクロソフトはSCP MS-DOS 1.25、およびAltos MS-DOS 2.11とTeleVideo PC DOS 2.11の混合版を、Microsoft Research License Agreementに基づいて一般公開した。これにより、コードソースは利用可能になるが、オープンソース・イニシアティブやフリーソフトウェア財団の規格で定義されるオープンソースではない。マイクロソフトは、2018年9月28日にMITライセンスに基づいてコードを再ライセンスし、これらのバージョンをフリーソフトウェアとした。
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