CLK-GTR: FIA GT選手権参戦と圧勝(1997年)
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「モータースポーツにおけるメルセデス・ベンツ」の記事における「CLK-GTR: FIA GT選手権参戦と圧勝(1997年)」の解説
FIA GT選手権のGT1クラスに出場するために必要となるグループGT1車両の開発に充てられる時間はほとんどなかったことから、CLK-GTRの完成は1997年シーズン開幕の直前となり、AMGメルセデスチームは熟成どころかセッティングもろくにされていない状態の車両を1997年の開幕戦ホッケンハイムに持ち込んだ。 初年度はベルント・シュナイダー、アレッサンドロ・ナニーニ、クラウス・ルートヴィッヒ、マルセル・ティーマンをレギュラードライバー、アレクサンダー・ヴルツ、ベルント・マイレンダーらを準レギュラードライバーとして、開幕3戦目までは2台、4戦目以降は3台を投入した。同選手権の前身のBPRグローバルGTシリーズから数えて参戦3年目のマクラーレン・F1 GTR(英語版)や2年目のポルシェ・911 GT1には歯が立たないという想定だったが、開幕戦から予選でポールポジションを奪い、熟成が進んだ4戦目で初優勝を遂げる。 その後も優勝を重ね、年11戦の内、チームとして6勝を挙げ、シュナイダーがチャンピオンとなり、AMGメルセデスはチームチャンピオンを獲得した。 CLK-GTRの開発 詳細は「メルセデス・ベンツ・CLK-GTR」を参照 メルセデス・ベンツは1997年は引き続きITCに参戦するつもりだったため、FIA GT選手権参戦に向けた準備の開始は遅くなり、GT1車両の開発をAMGに依頼したのは1996年12月のことだった。エンジンは量販車用のV型12気筒のM120エンジン(英語版)をベースに開発したが、車体は未完成だったため、マクラーレン・F1 GTR(英語版)に載せてテスト走行を行った。 車体はマクラーレン・F1 GTRやポルシェ・911 GT1への対抗上、カーボンモノコックの採用は不可避だったため、フルカーボンコンポジットのボディとモノコックを設計し、製造はローラ・コンポジットに委託した。 最終的に、新型車両CLK GTRは1997年3月26日に完成し、その2日後にハラマサーキットでベルント・シュナイダーが最初のテスト走行を行った。開発開始から完成までにかかった日数はわずか128日だった。これは4月13日が決勝日の開幕戦のわずか2週間前で、腕に障害のあるナニーニが乗る車両(カーナンバー10)に至っては、特殊なシフトレバーを用意する必要があったため、完成したのは開幕戦の練習走行の前夜だった。 本来、ロードカーを完成させてホモロゲーションを取得する必要があったが、メルセデス・ベンツを取り込みたい思惑からFIAは譲歩し、ロードカーの完成はレースカー完成の後でも良いことになり、同年9月にようやく完成した。
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