BPRグローバルGTシリーズとは? わかりやすく解説

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BPRグローバルGTシリーズ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/21 01:09 UTC 版)

BPRグローバルGTシリーズ
カテゴリ スポーツカー
国・地域 国際
開始年 1994年
終了年 1996年
クラス GT1、GT2、GT3、GT4

BPRグローバルGTシリーズ(ビーピーアールグローバルジーティーシリーズ、BPR Global GT Series)は、1994年から1996年まで開催されたグランツーリスモベースのスポーツカーレースシリーズである。「BPRグローバルGT耐久シリーズ」または単に「BPR」と略されることもある。

BPRとは共同設立者のユルゲン・バルト(Jurgen Barth)、パトリック・ペーター(Patrick Peter)、ステファン・ラテル(Stephane Ratel)の3人のイニシャルを組み合わせたもの。

1992年に終了したスポーツカー世界選手権(SWC)に代わる国際耐久レースシリーズとして設立され、3シーズン開催したのち、1997年FIA GT選手権に改組された。

歴史

1992年のSWCの終焉後、国際的なスポーツカーレースシリーズは存在せず、ほぼ同一の車を使用した小さな国内シリーズまたはメーカーカップレースのみが存在した。そこで、富裕層のジェントルマンレーサーやプライベートチームが高性能ロードカー(いわゆるスーパーカー)を購入して参加できるレースとして、1994年にBPRシリーズが発足した。

発起人となる3人のうち、ドイツ人のユルゲン・バルトは1977年のル・マン優勝経験のあるポルシェのワークスドライバーで、ポルシェのカスタマーレース部門を担当していた。フランス人のパトリック・ペーターはコレクター向けのイベントを運営するペーター・オート (fr:Peter Autoの代表で、フランス人のステファン・ラテルはレーサー兼オーガナイザーとして、ランボルギーニヴェンチュリーのワンメイクレースに関与していた。

初年度の1994年はノンチャンピオンシップシリーズとして全8戦のスケジュールが組まれた。ヨーロッパラウンド後の終盤2戦はアジア遠征を行い、日本ラウンドは伝統の鈴鹿1000kmがカレンダー入りした。最終戦は欧米のレースイベントとして初めて中国に進出し、珠海市の市街地コース (Zhuhai Street Circuitで行われた。1995年よりドライバーとチームの選手権が制定され、年間12ラウンドに拡大。

最終年となる1996年は11ラウンドが開催された。

シリーズの注目度が高まり、メーカーの関与が大きくなるにつれ、国際自動車連盟(FIA)は、シリーズを自分たちで管理するのが最善であると判断した。1997年よりFIA主催シリーズであるFIA GT選手権に改組され、2009年まで継続した。プライベーター主体のシリーズがメーカーの参入によりハイレベル化し、FIA直轄に格上げされるという流れは、ツーリングカーレース旧ドイツツーリングカー選手権 (DTM) が1996年に国際ツーリングカー選手権 (ITC) へ移行したケースと通ずるものがある。

BPRシリーズ終了後、パトリック・ピーターはフランス自動車スポーツ連盟(FFSA)と共同で、FFSA GTチャンピオンシップ (FFSA GT Championshipとして知られる新しいシリーズを設立した。車両はBPRに出場していたものより非力で、BPR初期のような4クラス形式を保持したが、後年廃止された。

ステファン・ラテルはFIA GT選手権への移行後もシリーズの商業的権利を担当した。また、1995年にステファン・ラテル・オーガニゼーション (SRO) を設立し、様々なGTレースの運営に手を広げることになる。1998年にはFIA GT選手権にみられる大規模なメーカーの関与を回避するため、プライベートチーム向けに1998年にGTRユーロシリーズ (GTR_Euroseriesの立ち上げを支援した。GTRユーロシリーズは、FIA GT選手権で使用されなくなった4時間のレース形式を保持したが、最初のシーズン中に中止となった。

2006年、SROはGT90のリバイバルシリーズの設立を発表した。これは、BPRシリーズのクラシックカーがトラックに戻ることを目的としたシリーズだった。

規則

プロトタイプレーシングカーを使用したSWCとは異なり、BPRシリーズはレース用に改造された量産スポーツカーを使用する。参加クラスにより最低生産台数が設定されており、最上位のGT1クラスの場合25台をしなければホモロゲーションを取得できない。

クラスはGT1・GT2・GT3・GT4の4クラスが設けられていたが、1996年はGT1とGT2の2つに変更された。GT1は、材質変更や特注部品の使用を含む、生産車両からのより広い改造を可能にした。

レースの長さは約4時間。チームには、マシンごとに2人のドライバーが必要であり、各ドライバーはポイントを獲得するために最低周回数を運転する必要があった。一部のチームは、必要に応じて3人にできるが、これは主にアマチュアチームが利用していた。

車種

1994年は様々なポルシェ911およびヴェンチュリーで構成されていたが、その後、モディファイされたフェラーリ・F40ロータス・エスプリコルベットが加わった。ポルシェ・911ターボS LM-GTは参戦した4戦全てで優勝した。

2シーズン目の主導権を握ったのは、開幕戦デビューウィンを飾ったマクラーレン・F1 GTRであった。そもそもマクラーレン・F1はレース出場を想定していなかったが、マクラーレンはジェントルマンドライバーの要望に応じ、レースバージョンのF1 GTRを発表。これはエンジンを供給していたBMWがGTレースに興味を持って後押ししたという面もあった[1]。BPRのタイトル2冠を獲得し、さらに、同年のル・マン24時間でも総合優勝するなど、GT1マシン興隆のシンボルとなった。また、フェラーリ・F40 GTEジャガー・XJ220などの新しいスーパーカーや、ポルシェ・911 GT2デ・トマソ・パンテーラリスターモーガンマーコスなどが参戦した。

1996年、シリーズへのメーカーの関心は高まり、ポルシェはポルシェ・911 GT1を発表した。ポルシェは公道仕様の911GT1を25台生産し、正式なGT1の車両公認を取得して、BPR GTに参戦した[2]。9月のブランズハッチ4時間耐久レース以降のBPR GT選手権4戦中3戦に参戦し3戦3勝を飾った。(途中参戦の為ランキング対象外)

歴代勝者

BPRの初期には複数のクラスがレースを行ったが、設けたのは1個の総合チャンピオンシップのみ。

ドライバーチャンピオン チームチャンピオン
1994年 チャンピオンシップの授与は無し
1995年 トーマス・ブシャー
ジョン・ニールセン
デビッド・プライス・レーシング
マクラーレン・F1 GTR
1996年 レイ・ベルム
ジェームス・ウィーバー
GTCコンペティション
マクラーレン・F1 GTR

参照

脚注

  1. ^ 『レーシングオン アーカイブズvol.13』三栄書房、2019年2月7日、60頁。 
  2. ^ 『レーシングオン アーカイブズvol13』三栄書房、2019年2月7日、11頁。 

外部リンク


BPRグローバルGTシリーズ

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ステファン・オルテリ」の記事における「BPRグローバルGTシリーズ」の解説

チーム使用車両クラス123456789101112順位ポイント1995年コンラート・モータースポーツポルシェ・911 GT2GT3JER PRI MNZ JAR NÜR DON PAR7 ANDRet 14111ラルブル・コンペティションポルシェ・911 GT2 EvoGT1 SUZRet SIL NOG ZHURet 1996年ポルシェ・911 GT2GT2PRI4 3157パール・モータースポーツ MNZ6 JAR4 SIL3 NÜR コンラート・モータースポーツ AND2 SUZ2 BRH1 SPARet NOG ルーク・レーシング ZHU7 太字ポールポジション、斜字はファステストラップ。(key)

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