Athlonの登場とモデルナンバー導入
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/09 09:48 UTC 版)
「アドバンスト・マイクロ・デバイセズ」の記事における「Athlonの登場とモデルナンバー導入」の解説
K6-IIIではPentium IIIに対抗するには不十分であったことから、AMDは1999年に浮動小数点演算性能を高めたAthlonプロセッサ(開発コードネーム「K7」)を出荷した:2。訴訟の和解条件である非互換路線に転換し、独自のプロセッサバスとCPUソケット (Slot A) を採用した:2。Athlonプロセッサでは、AMDのプロセッサとして初めて商標が採用された (AMD Athlon)。後にインテルのCeleronに相当する低価格ラインには「AMD Duron」の商標が付けられた:2。 Athlon登場時は、オフィスソフト等ではPentium IIIと同等の性能をもつとしていたK6-IIIとAthlonを併せ広報していたが、製造不良が多発していたK6-IIIの製造を打ち切り、後継にK6-IIIの下位製品であるもののK6-2+を発売した。 インテルがPentium III 1GHzの製品発表会開催の事前情報を得たことで、AMDはインテルより数日早く1 GHz (1,000 MHz)で動作するAthlonプロセッサを世界初のパソコン用プロセッサとしては発表した。その後、第7世代の開発中止で苦戦していたインテルを尻目にPentium IIIと競合しつつもAthlonは順調に性能を向上させ、人気を博した。その人気から、K7世代においてAMDはインテルから5%のシェアを奪取した。これは1つの企業が90%以上の寡占状態にある市場においては驚異的なことである。 「K7」から「Thunderbird」にかけてのAthlonはエポックメーカーとして成功したが、単純なクロック増加のみでの性能向上に限界が見えたこともあり、Athlon XP以後はキャッシュ・レイテンシの改善や、パイプライン適正化などによる効率化を重視し、クロック周波数以外での性能向上に力を注いでいく方針がとられた。しかし当時はクロック周波数の高さこそが性能の高さに直結するという風潮があった。そこでAMDは、周波数によらない性能を表すための指標となる「モデルナンバー」を採用した:3。モデルナンバーは、当初はThunderbird比とされ、インテル製CPUのクロック周波数を意識したものではないとAMDは主張していたが、その後「モデルナンバーが『他社製CPUのクロック周波数』とMHz換算で同じ(例:モデルナンバーが2000+ならばクロック周波数で2,000 MHz)であれば同等かそれ以上の性能を示す」とするプレスリリースを発表する。その当時、デスクトップ向けCPUでの『他社製』とは、実質インテルしかなかったため、このプレスリリースはインテルやクロック至上主義への対抗であることは明らかだとパーソナルコンピュータ業界ではそう思われていた。その後、インテルがPentium 4でハイパースレッディング・テクノロジーを実装してからは、このモデルナンバーとインテル製CPUのクロック周波数が当てはまらなくなり、AMDでは「自社製CPUの性能を表すひとつの指標」としている。しかし、Athlon 64(後述)の投入に合わせてモデルナンバーの再構築を行い、再びインテル製CPUのクロックの性能と同じであることを示すモデルナンバーを用いている。
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