901・701系の運用など
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「阪神701形電車」の記事における「901・701系の運用など」の解説
901形は、当初は601形や1001形とともに新鋭の半鋼製車として、2両連結で本線の普通運用に充当されることもあった。しかし、加速、高速性能がこれらの形式に比べると劣ることから、1101系各形式が増備されると、当初の予定通り単行または2連で伝法線や尼崎海岸線で専属的に使用された。1940年には881形の増備に伴い、901形から701形への改番を実施した。 戦時中は大半の車両が事故や故障、あるいは新設軌道線の他形式に部品を供出して、休車状態で尼崎車庫に留置されていた。戦後しばらくして部品の供給が円滑になると復旧工事が開始され、復旧にかなりの時間と経費を要すると判断された704,705,710の3両以外は運用に復帰することができた。また、1948年に車内などを焼損した703も翌1949年にベンチレーターをガーランド型に換装されて復旧した。 しかし、1954年の3011形の登場以降、10両の少数派であり、非貫通式の両運転台車で加速・高速性能が悪く、他形式と共通運用の組めない本形式は使い勝手が悪いことから真っ先に置き換え対象車となり、同年に長期休車の704,705,710の3両が廃車され、709が救援車代用とされた。残った6両は大型車登場に伴い、ドア部分に安全確保のために張り出し式のステップを取り付けたが、尼崎海岸線運用にも充当されることもあることから、後に着脱式のステップに換装された。 その後もしばらく他形式に混じって伝法線と尼崎海岸線で運用されていたが、1958年に赤胴車3501形とジェットカー試作車である5001形が新製投入されたことと、新設軌道線の輸送力増強と運用の合理化のために武庫川線及び尼崎海岸線に「金魚鉢」こと併用軌道線の71形を投入することによって、701形はこれらの車両によって置き換えられることとなり、同年12月に701,703,706,708の4両が、翌1959年5月に702,707の2両が廃車され、営業用の701形は形式消滅した。 救援車代用で残った709は車体を706ないしは708のものに振り替えられて同年に正式に救援車となり、座席や窓の保護棒、ドアステップ、ドアエンジンなどを撤去して車内にジャッキなどの必要資材を搭載した。正式な救援車になってからも709は尼崎車庫の構内で待機していたが、モーターがこの形式だけのGE-90Aだったことから1101形のGE-203Pに換装する計画が立てられたものの、結局は1121形1136を救援車110(2代目)に改造することになり、余剰となった709は1961年8月に廃車、701形は完全に消滅した。
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