5200系の登場
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/04 00:52 UTC 版)
「名鉄5000系電車 (初代)」の記事における「5200系の登場」の解説
5000系登場後の成績から、名鉄では名古屋本線の特急・急行をすべて高性能車両に置き換え、犬山線・常滑線の急行についても高性能車両を導入することを決定、そのための増備車両は車体のモデルチェンジを行い、5200系として登場した。5200系は先頭車のみの2両編成が6本、合計12両が製造されたが、名古屋本線の特急では6両編成、犬山線・常滑線の急行では4両編成で運用された。また、5200系の投入により、名古屋本線の特急・急行は一部を除いてすべて高性能車両による運行となった。なお、貫通型となった5200系の正面デザインは、その後国鉄91系電車(後の153系電車)などにも影響を与えたといわれている。 1958年以降は数次にわたり空気ばね台車の試験が行われた。まず1958年7月には住友金属工業製のウイングばね式空気ばね台車であるFS322形、汽車会社の緩衝ゴム式空気ばね台車のKS-54形、日本車輌の軸梁式空気ばね台車であるND-301形を5209編成と5211編成に取り付けた上で、長期耐用比較試験が行われたが、前述したアルストムリンク式の台車での経験があったことから、これらの試験台車ではアルストムリンク式を避けるように指示が出された。さらに、1959年2月にはモ5208に日立製作所の緩衝ゴム式空気ばね台車であるKH-21形の試験が、さらに1960年6月にはモ5003に住友金属工業製の軸ばね式空気ばね台車であるFS335形を装着した試験が行われた。これらの試験を経て、1961年に登場した7000系パノラマカーの台車には、FS335形が採用された。 その後、1959年には冷房装置を搭載した5500系が登場、さらに1961年には戦後の日本で初の前面展望電車である7000系パノラマカーが登場するに至り、5000系と5200系は名古屋本線の主力ではなくなっていった。なお、5003編成は1959年10月11日に発生した大里駅付近での踏切事故に遭遇してモ5004が転覆、直後の同年12月18日にも、小田渕駅 - 国府駅間の国道1号と交差する米田踏切でトラックと衝突し、モ5003の前頭部が大破したが、後に復旧されている。
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