3度の大火
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/15 16:10 UTC 版)
「ホットスプリングス (アーカンソー州)」の記事における「3度の大火」の解説
1878年の春、ホットスプリングスの街は大火に見舞われ、アーリントン・ホテルや数軒のバスハウスは焼失を免れたものの、街のほとんどは焼き尽くされた。これ以後、ホットスプリングスでは建築物の耐火性に対する関心が高まり、木造に代わってレンガ造が主流になっていった。またこの頃、それまでホットスプリングスでは放し飼いにされていた豚、馬、ラバ、牛、山羊などの家畜の放し飼いを禁止する条例が通された。その結果、ホットスプリングスの街はそれまでの素朴な田舎町の風景から、一気に近代化した。 1905年2月26日、ホットスプリングスは再び大火に見舞われ、市中心部のほとんど、104エーカー(約48.3ha)にわたって延焼し、約400棟が焼失した。これを受け、2年後の1907年には、ホットスプリングスに建物を新築する際には、必ず外壁の材質に石、レンガ、もしくは鉄板を用い、また基礎には石かコンクリートを用いなければならないとする条例が通され、木造建築物の新築は違法とされた。 1913年9月6日、ホットスプリングスは三たび大火に見舞われた。ダウンタウンの南東、陸軍・海軍病院の近くから出火したこの火事は、初めは南東方向へと延焼していったが、やがて風向きが逆方向に変わり、ダウンタウンへと燃え広がっていった。ホットスプリングス消防局だけでは足りず、リトルロックからも消防隊を派遣して消火にあたったが、火は一向に収まらず、突然降りだした豪雨によってやっと鎮火した。セントラル・アベニューは延焼を防ぐためにダイナマイトで一部の建物を取り壊したため残ったが、ダウンタウンや市南部の大部分が焼け野原と化した。被害総額は600万ドル(当時)にも上った。この大火で、8年前の大火の後も残っていた古い木造建築物はすべて焼失した。この大火の当時、ホットスプリングスでは8年前の大火からの復興の最中であったため、復興は事実上一からやり直しとなり、人員や資材にかかる費用は高騰した。
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