ラナースとは? わかりやすく解説

ラナース

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/09/28 13:44 UTC 版)

ラナース
Randers

広場前の古い市庁舎。正面にニールス・エッベソン像が立つ
市章
位置

ラナースの位置
座標 : 北緯56度28分 東経10度03分 / 北緯56.467度 東経10.050度 / 56.467; 10.050
行政
 デンマーク
 地域 中央ユラン地域
 市 ラナース
地理
面積  
  市域 32.3 km2
人口
人口 (2022年現在)
  市域 62,802人
    人口密度   1900人/km2
その他
等時帯 中央ヨーロッパ時間 (UTC+1)
夏時間 中央ヨーロッパ夏時間 (UTC+2)
公式ウェブサイト : https://www.randers.dk/randers-kommune/
ラナース市庁舎前にある、ニールス・エッベソン像

ラナース(Randers [ˈʁɑnɐs])は、デンマークユトランド半島北東部にある基礎自治体及び都市の名称。デンマークで6番目に大きな都市で人口は62,802人(2022年)。自治体議会が置かれている。デンマーク唯一の、天然の河港で、カテガット海峡に面したラナース・フィヨルド口から6マイル、グゼノー川の河畔にある。ユトランド半島北東部という位置が、町を海の通商地域としてめざましい発展を遂げさせる要因となった。周辺の川とアクセスが良好なことから、シルケボーやヴィボーからの物流がラナースへ持ち込まれ、輸出品が河港から輸出していったのである。

肥沃な農業地帯、流通に適した土地と水の利が相まって、ラナースは通商の要所となった。道路のアクセスも良く、一般に『水路と道路が出会う場所』と言われている。

ラナースは『王家のユラン』(Kronjylland)と呼ばれ、市民は『王家のユラン人』(Kronjyde)と称される。これは、王家の所有する広大な所領が周辺にあることから生じている。王家のユラン人という呼び名は、1750年頃に詩人が使用し始めた名称である。ニコライ・グルントヴィク、ハンス・クリスチャン・アンデルセンノーベル文学賞作家ヘンリク・ポントピダンらがその名称を用いた。

歴史

ラナースの町ができたのは1100年代だが、ヴァイキング時代に人が大勢住んでいた証拠が見つかっている。

デンマーク王クヌート4世(1043年-1086年)は聖クヌートの名前で知られるデンマークの守護聖人である。彼のコインがラナースで鋳造された。クヌート王のイングランド侵攻とウィリアム1世打倒計画と、彼自身に反対する農民階級らが反乱を起こし、ラナースに終結した。これらの反抗から彼は死に追いやられた。

ラナースの要塞化は中世に行われた。しかし、今日中世の防御壁をうかがい知れるのは、町の通りの名前にしか残っていない。Østervold(東防御壁)、Vestervold(西防御壁)、Lille Voldgade(小防御壁通り)といったかつての壁があった場所にちなんだ名が残る。

年代記では、町を飲み込んだ大火について語っている。ラナースは1200年代に3度の大火に見舞われ、そのうち1246年の大火は、エーリク4世に対抗した王子アーベル(のちのアーベル王)軍によって引き起こされたものであった。

市中心部の通りには、デンマーク貴族で国民的英雄のニールス・エッベセンの家がある。言い伝えによると、ニールスは空位時代に国全体がドイツ人伯爵に臣従させられていた1340年4月1日に、ホルシュタイン伯ゲルハルトを殺したという。これをきっかけにドイツ人に対する暴動が起こった。エッベセンは、1340年12月、スカンデルボー城での戦闘で死んだ。

エッベセンの像は、現在ラナース市庁舎の正面に立つ。

ヴァルデマー4世ホルシュタイン公国を抵当にした後1350年に政府を集めようとした時、ラナースはさらに市の防御をはかってしばしば『ラナース要塞』(Randershus)という名前で呼ばれた。この補強は、1357年に不満を持つ貴族らによって攻略された。1359年、ヴァルデマー4世は自身の全軍を当たらせてラナース攻略を指揮した。

1534年、農民反乱が町を襲撃しようとして不成功に終わった。クリスチャン3世(在位:1536年-1559年)は、ラナースの町の周りにどっしりとした堀をめぐらせた。

ピーク時には、おおよそ170もの商人の所領と、世界中を航海したかなりの大きさの海軍が一帯にあったといわれる。これらの古い半木造建築の荘園屋敷と荘園は、いまだに町の中で見られる。

町近くの河港はたった7フィート半の深さしかないが、フィヨルド口からそれほど遠くないために過去には良質の造船所であった。ラナースは軍事的に重要な場所で、市の内外に1万人から15,000人の兵が駐屯していた。1880年当時の人口は13,457人であった。

見所

ラナース多雨林は北欧最大の人口多雨林で、350種以上の植物と175種以上の動物が生息している。多くは南アメリカ・ドーム、アフリカ・ドーム、アジア・ドームという3つのドームの中で放浪している。加えて、ヘビ園と水族館がある。

姉妹都市

脚注

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参考文献

  • 小泉隆 『北欧の建築 エレメント&ディテール』学芸出版社、2017年。ISBN 978-4-7615-3232-1 

外部リンク

座標: 北緯56度28分 東経10度03分 / 北緯56.467度 東経10.050度 / 56.467; 10.050


ラナース

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/11/10 04:16 UTC 版)

ユーラ・モフシシャン」の記事における「ラナース」の解説

2010年1月1日デンマーク・スーペルリーガ (デンマーク1部) のラナースFC移籍する3月7日エスビャウfB戦で初出場飾り以来、かつてのリーグ得点王マーク・ニゴー(英語版)を抑えて地位確立しており、4月14日FCミッティラン戦 (3-1) や同月シルケボーIF(2-0) において、それぞれ2得点挙げる等、シーズン後加入にもかかわらず13試合7得点と高い得点力見せ下位低迷していたチーム残留一役買った。翌2010-11シーズン定位置確保しつつ、UEFAヨーロッパリーグ 2010-11では、予選1回戦F91デュドランジュとの第1戦 (6-1) で2得点加え、セーレン・ピーダーセン(英語版)のアシストをし、予選3回戦FCローザンヌ・スポルト戦で3得点 (第1戦2得点、第2戦1得点)を挙げた。これらの活躍アルメニア代表に招集されたこともあり、FCディナモ・キエフFCルビン・カザンといったクラブから関心を引き、シーズン途中退団することになった

※この「ラナース」の解説は、「ユーラ・モフシシャン」の解説の一部です。
「ラナース」を含む「ユーラ・モフシシャン」の記事については、「ユーラ・モフシシャン」の概要を参照ください。

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