ラナ宰相家の打倒と第一次民主主義期
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「ネパールの政治」の記事における「ラナ宰相家の打倒と第一次民主主義期」の解説
1951年、それまで国王を傀儡化し、宰相職を世襲し、独裁権力をほしいままにしてきたラナ家が打倒され、インドから帰国したトリブバン国王は王政復古を宣言した。国王は民主化を推進したが、病に倒れ、1955年死去する。 跡を継いだのがマヘンドラ国王である。マヘンドラもはじめは民主化を志した。そして、1959年には初めて複数政党制による議会選挙が行われ、ネパール会議派が勝利し、ビシュエシュワル・プラサード・コイララが首相に選出された。
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