3度に亘る普請
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/15 05:20 UTC 版)
「吉田家住宅 (徳島県美馬市)」の記事における「3度に亘る普請」の解説
当家屋は佐直が起業したとき、移築した民家である。当時はこのような木材のリサイクルは一般的だった。その後たびたび普請(改修)を行っており、江戸後期から慶応元年までの約90年間に、大規模な普請を3度行った記録がある。最初は天保6年(1835年)の西棟普請。身分が高い人が使う通称「御成玄関」と呼ばれる西玄関と、中庭や主座敷などを改修した。藍事業の拡大に伴い、武士の接客などの必要性が出てきたためと思われる。次は安政7年(1860年)の東棟普請。東棟の2階の部分が屋根上げされ、2階板の間の柱が新しく継ぎ足されていることが確認できる。当時の藍商は、土間やみせのまの2階を倉庫または労働者の寝床として使うことが多く、この頃扱う品物の量や労働力の必要性が大きくなったことを伺わせている。3回目は慶応元年(1865年)の南棟普請。主に主人と家族の生活の場所だが、新しく増築したのか改築したのかは判断出来ない。
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