3度の結婚
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 18:31 UTC 版)
「アデライデ・ディ・トリノ」の記事における「3度の結婚」の解説
もともと辺境伯は軍事色の強い地位であることから、女性が就くことは適切ではないと考えられた。そこで1036/7年、皇帝コンラート2世が妻ギーゼラの連れ子であるシュヴァーベン公ヘルマン4世をアデライデと結婚させることにした。これにより、ヘルマン4世はトリノ辺境伯を継承した。しかし彼はまもなくコンラート2世に従いナポリ遠征に出て、そこで疫病により命を落とした。 アデライデは自らの膨大な財産を守るため、おそらく1041年、少なくとも1042年1月19日以前に、モンフェッラート侯エンリコと再婚した。しかしエンリコも1045年ごろに死去した。翌1046年、アデライデはサヴォイア伯オッドーネと3度目の結婚をした。彼との間には後のサヴォイア伯ピエトロ1世、アメーデオ2世、アスティ司教オッドーネという3人の息子が生まれた。またベルタとアデライデという2人の娘があった。前者は皇帝ハインリヒ4世の、後者はシュヴァーベン大公・ドイツ対立王ルドルフ・フォン・ラインフェルデンと結婚することになる。
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