3人目の皇帝ウィテッリウスとは? わかりやすく解説

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3人目の皇帝・ウィテッリウス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/19 00:21 UTC 版)

ローマ内戦 (68年-70年)」の記事における「3人目の皇帝・ウィテッリウス」の解説

勝利を収めたアウルス・ウィテッリウスそのままローマへ入城した前述第1軍団ゲルマニカ第21軍団ラパクス加えて第1軍団イタリカ第5軍団アラウダエ第15軍団プリミゲミナ、第1軍団マクリアナ・リベラトリクス、第3軍団アウグスタ強大な軍事力背景としたウィテッリウス前に元老院なすすべはなく、帝位与えることを即座に認める。しかし、ウィテッリウスそもそも帝位得た後の政策について明確な方針もなく、単に軍団御輿として担がれただけの皇帝であったウィテッリウス皇帝であった時代は、前の世代の人材随所活躍していたので行政面での問題少なかったが、結局ウィテッリウス自身新たに定めた法律などは一つもなく、即位後の彼の事績として残されているのは一日食費10万デナリウス要したなどのみである。 ウィテッリウスローマ入城の際には市民の間にもさしたる動揺はなかったが、やがて日が経つにつれてゲルマニア兵の素行悪さローマ治安の悪化に繋がるようになったまた、第一次ベドリアクム会戦オトーについたドナウ軍団ケントゥリオ百人隊長)たちを全員処刑したことで、ウィテッリウス人気急激に低下するローマ軍団兵士とはローマ市民権を持つローマ市民でもあり、前皇帝であったオトー命令忠実に従うという軍団兵義務守っただけの彼らが処刑されたことで、多くローマ市民新皇帝に対す不信感強めたローマ混乱が続く中、シリア属州ユダヤ戦争指揮を執っていた将軍ウェスパシアヌス新たに帝位名乗りを上げた。ウェスパシアヌスローマにとって最大敵国であったパルティア対す備えとして設置された4個軍団配下収めた。さらに、今までガルバ支持していたアフリカ属州第3軍団アウグスタ第1軍団マクリアナ・リベラトリクスがウェスパシアヌス皇帝として支持、またアエギュプトゥス総督であったティベリウス・ユリウス・アレクサンデルが明確にウェスパシアヌス支持表明当時地中海最大の都市であったアレクサンドリアの富を背景にして足場着々と固めていった。 他方で、バタウィ族出身ガイウス・ユリウス・キウィリスが反ウィテッリウス・親ウェスパシアヌス掲げてゲルマニア挙兵。バタウィ族やブルクテリ族といったゲルマン系以外にも、トレウェリ族やリンゴネス族等のガリア部族糾合してウィテッリウス支持ライン川一帯ローマ軍基地次々と攻撃した

※この「3人目の皇帝・ウィテッリウス」の解説は、「ローマ内戦 (68年-70年)」の解説の一部です。
「3人目の皇帝・ウィテッリウス」を含む「ローマ内戦 (68年-70年)」の記事については、「ローマ内戦 (68年-70年)」の概要を参照ください。

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