3人編成のたまになってから解散まで(1996年 - 2003年)
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柳原の脱退により、1996年から3人での活動となった(通称「3たま」と呼ばれる)。その後のライブでは斉藤哲也 (undercurrent, Nathalie Wise) やライオンメリィ(ヴァージンVS、ヤプーズ、メトロファルス、エコーユナイト)らをキーボードのサポートとして迎えた。その一方で、サポートミュージシャンを入れず、アンプや電源が不要でなおかつ携帯しやすい小型の楽器を用いて、より手軽でチープな雰囲気を狙った「しょぼたま」という編成でもライブを行った。 柳原がボーカルを務めていた楽曲はレパートリーからは排除され、柳原が担当していたコーラスのパートは石川と滝本が分け合う形で担当していくようになったが、たまから柳原が脱退したという事実はファン以外の人間には浸透していなかった部分もあり、営業などに呼ばれた際に「『さよなら人類』をやってくれ」と依頼されて困ったことが何度かあった。 1996年 6月26日、フジテレビ系アニメ『ちびまる子ちゃん』のエンディングテーマとして制作されたシングル『あっけにとられた時のうた』でメジャーレーベルに復帰。 1997年 7月23日、吉田戦車の漫画『ぷりぷり県』のイメージアルバム『パルテノン銀座通り』をリリース。 1999年 3月、劇団ナイロン100℃の舞台『薔薇と大砲~フリドニア日記#2~』に出演、役者および劇中曲を担当。 2001年 NHK教育テレビ『おかあさんといっしょ』挿入歌「ハオハオ」の作曲・演奏を担当。5月に番組のファミリーコンサートにゲスト出演し、「ハオハオ」で歌のおにいさん(杉田あきひろ)・おねえさん(つのだりょうこ)と共演し、知久は2番以降でボーカルも担当した。この他、栗原正己作曲の「あめふりりんちゃん」では栗コーダーカルテットとも共演した。このときの模様は、番組からビデオ・DVDが発売されている。 7月、劇団ナイロン100℃主宰ケラリーノ・サンドロヴィッチ作の舞台『室温〜夜の音楽〜』に出演、役者および劇中曲を担当。 2003年 3月、俳優の近藤芳正が主宰する劇団ダンダンブエノのダンス公演『いなくていい人』に出演。5月、ホリプロ×ナイロン100℃ SPECIAL SESSIONミュージカル『ドント・トラスト・オーバー30』に出演。劇中の演奏を担当し、サウンドトラック盤が7月25日に『しょぼたま2』というタイトルでリリースされた。 5月、ダンス公演『いなくていい人』の練習期間に知久が脱退を口にした。石川によれば、マンネリズムによりたまとしての活動に新鮮味がなく、メンバー全員が解散を考えており、いつ誰の口から解散が切り出されてもおかしくない状況だったという。 10月28日・30日・31日に行われた吉祥寺STAR PINE'S CAFEでラストライブ「たまの最期!!」をもってたまは解散した。解散公演の最終日、ホフディランのワタナベイビーが飛び入り参加し、柳原脱退以後封印されていた「さよなら人類」も演奏された。石川によれば、「さよなら人類」を演奏した理由は、飛び入りで参加した泥酔していたワタナベイビーが突発的に「さよなら人類」を歌い始めたのが原因であり、前もって意図したものではなかったという。その後もワタナベイビーは3人に会う度にこの時のことを謝っているという。アンコールとして最後に演奏した曲は「ヒゲのある暮らし」だった。
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