2008年 - 2009年:初期のキャリア、My World
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「ジャスティン・ビーバー」の記事における「2008年 - 2009年:初期のキャリア、My World」の解説
並外れた歌唱力を持つ歌手の動画を探し求めていた元So So Defマーケティング担当役員のスクーター・ブラウンは、ほんの偶然に2007年のビーバーの動画をクリックした。それに感動したブラウンはビーバーが歌っていた場所、学校を突き止め、ついにパティとの接触に成功した。しかしブラウンはユダヤ人であったため彼女はあまり気乗りせず、「神様、息子をあなたに捧げます。だから、クリスチャンの人を、クリスチャンのレーベルの人を、遣わしてください!...ユダヤ人にジャスティンを預けることなど、お望みではないでしょう?」と祈った。しかし、教会の長老たちとの祈りのあとに彼らからの激励を受け入れ、デモテープを作成するためにアトランタへ飛ぶことを許可した。そのときビーバーは13歳であった。到着してから1週間後には、R&Bシンガーソングライターのアッシャーに歌を披露した。 ビーバーはすぐにアッシャーとブラウンの合弁会社RBMGと契約を結んだ。ジャスティン・ティンバーレイクもまたビーバーとの契約を希望したが、アッシャーとの契約争奪戦に負けてしまったと伝えられた。アッシャーがレーベルを探すことにおいてマネージャーのクリス・ヒックスに援助を求めたところ、ヒックスはアイランド・デフ・ジャム・ミュージック・グループの会長アントニオ"L.A."リードにオーディションを行うようにコンタクトをとってくれた。2008年10月、リードはビーバーと契約を結び(これがRBMGとアイランド・レコードの合弁事業を生むこととなる)、ヒックスをビーバーのレーベルにおいての仕事を管理するデフ・ジャム・レコードの副社長に任命した。その時点でビーバーとパティはアトランタに仮住まいし、レコーディングやブラウンからの助言を受けるためにアッシャーやブラウンの家に行った。ブラウンはビーバーのマネージャーとなった。 ビーバーのファーストシングル「One Time」は、まだ彼がデビューアルバムをレコーディングしている最中にリリースされた。この曲は2009年7月に発売初週でCanadian Hot 100で12位を獲得し、Billboard Hot 100においては最高17位を獲得した。2009年秋には世界市場で成功を収めた。またこの曲はカナダとアメリカでプラチナディスクに、オーストラリアとニュージーランドでゴールドディスクに認定された。2009年11月17日、ファーストEP『My World』がリリースされた。セカンドシングル「One Less Lonely Girl」とプロモシングル「Love Me」、「Favorite Girl」がiTunes Storeでリリースされ、Billboard Hot 100で40位以上を記録した。 その後も「One Less Lonely Girl」がラジオで流され、カナダとアメリカでは最高15位を獲得し、後にゴールドディスクに認定された。そしてついに『My World』がアメリカでプラチナディスクに、カナダとイギリスでダブルプラチナディスクに認定された。アルバムのプロモーションのためmtvUのVMA 09 Tour、ドイツのテレビ番組「The Dome」、YTVの「The Next Star」、「トゥデイ」、「The Wendy Williams Show」、「Lopez Tonight」、「エレンの部屋」、「It's On with Alexa Chung」、「グッド・モーニング・アメリカ」、「Chelsea Lately」、BETの「106 & Park」に出演し数多くのライヴを行った。「106 & Park」では歌手のリアーナと共演を果たした。2009年後期には、シットコム「True Jackson, VP」にゲスト出演した。 「Christmas in Washington」の収録のため、ビーバーはホワイトハウスで米大統領バラク・オバマとファーストレディミシェル・オバマにスティービー・ワンダーの「Someday at Christmas」を歌った。これは2009年12月20日にTNTで放送された。また、2009年12月31日に「Dick Clark's New Year's Rockin' Eve with Ryan Seacrest」に出演した。2010年1月31日、ビーバーは第52回グラミー賞のプレゼンターを務め、またハイチ地震による被災者支援のために、25周年となった「We Are The World」のリメイクのレコーディングに参加した。ビーバーはオリジナルではライオネル・リッチーが歌った歌い出しを歌った。 2010年3月12日、Young Artists For Haitiとして知られているカナダのアーティストたちがK'Naanの「Wavin' Flag」をリメイクした。ビーバーも参加し、歌い終わりを歌った。
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