2005年ハリケーン・カトリーナ
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「セントタマニー郡 (ルイジアナ州)」の記事における「2005年ハリケーン・カトリーナ」の解説
2005年にハリケーン・カトリーナが郡内東部を通過した。8月29日午前9時45分頃に、台風の目がカテゴリー3の勢力を保ったまま郡の真上を通過した。スライデル、アベリーエステイツ、レイクショアエステイツ、オークハーバー、イーデンアイルズ、ノースショアの町が、内陸6マイル (10 km) に及んだ高潮で浸水した。この高潮はラコーム、マンデビル、マディソンビルなど全長57マイル (92 km) の海岸線(湖岸線)全てに被害を与えた。リゴレット海峡(ポンチャートレイン湖の出口)での高潮は波動抜きで16フィート (4.9 m) に達し、マディソンビルでも7フィート (2.1 m) あった。台風の目から西よりの風が吹き、リゴレット海峡がボトルネックになったので、郡東部では2度目の高潮が襲った。 州間高速道路10号線ツインスパンのスライデルからニューオーリンズ東の間の区間が破壊され、水に浸かった。ポンチャートレイン湖コーズウェイとポンチャートレイン湖の南北を繋ぐ11号線橋は、緊急車両のみに開放された。 アメリカ国道190号線の南、ラコームから州境まで、最初の調査と救出活動が行われた。消防第1一区とセントタマニー郡保安官事務所が住民3,000人以上を避難させ、危険性の高かった約300人を救出した。この救出活動で無線による会話が行われたが、電話の緊急通報機能は10日間働かなかった。公益事業サービスはどこも使えなかった。非常用発電機は病院と特定の避難所でのみ使えた。病院は発電機の能力一杯に動かした。 ハリケーンの風で樹木や電信柱が郡域全体で倒され、交通が麻痺した。瓦礫の処理は2007年まで掛かり、660万立方ヤード (4,800,000 m3) 以上の瓦礫が集められた。水路の瓦礫処理は少なくとも2009年まで続けられた。 ハリケーン・カトリーナによる洪水、強風で48,792軒の家屋が損傷を受けた。
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