1996-2000年
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「4コマまんが王国」の記事における「1996-2000年」の解説
1996年以降ポケモンの大ヒットを受け、他社からはポケモン関連の4コマ漫画本が多数出版されたが、双葉社からだけは出版されなかった(ポケモンの攻略本は双葉社からも出版されており、後にゲーム雑誌「Nintendo Kids」を創刊していることを考えると双葉社と任天堂の関係悪化と言うことではないと見られる)。 1996年から1997年の間は、従来の主力作家陣と新たに参入した作家陣が混在した時期で、誌面は活性化した。スーパーマリオ64、スーパードンキーコング、ぷよぷよ、星のカービィなどありとあらゆるゲームソフトの4コマ漫画が次々に出版された。一部の作家に誌面が過剰に割かれることもなく、良質な作家陣が揃っていた時期であったといえるだろう。古参の作家では中村里美が、新たに参入した作家では東静馬、芳一などが活躍している一方、既にこの時期には佐々木亮の漫画は一切見かけることができなくなっている。 1996年6月23日に任天堂がNINTENDO64を発売すると、今までファミコン・スーパーファミコンのゲームコミックとして続いていたシリーズに変化が起き始める。 1996年8月には「コミック ゲーム王国」が休刊。さらに今までシリーズを支えてきた森田屋すひろ、福原君、みた森たつや、島本晴海などが次々に姿を消し、東静馬、芳一、神楽つな、ほしのえみこなど新たな作家陣が参入する。こうした作家陣の流動化は1997年末頃まで続いた。 この時期、初期から同レーベルを支えてきた最主力作家の佐々木亮が「★スーパーマリオ★ヨッシーアイランド4コマまんが王国 2」を最後に誌面から姿を消した(その後他誌でオリジナル作品の執筆に注力していく)。 中村里美の「ピーチ姫シリーズ」、森田屋すひろの「ファイアパックンシリーズ」といった人気の「完全オリジナルストーリーもの」も、ほぼこの時期に姿を消した。この後の中村里美のマリオ4コマもピーチ姫が前面に出た「ピーチ姫シリーズ」に分類できるが、そのネタ自体は題材となるゲームに忠実な内容となっている。 こうした動きがほぼ鎮静化した1998年以降は、主力であったスーパーマリオ系の4コマ本を中心に出版タイトル数は著しく低下した(現在では他社も含めマリオ系の4コマ本はほとんど出版されなくなっている)。 『がんばれゴエモン ネオ桃山幕府のおどり』の4コマ漫画本に限り、「4コマまんが道中」というレーベルがつけられた。またこの本はコナミのライセンス商品の証明として、表紙にコナミのロゴマークが記されている。 2000年には機動戦士ガンダム、スーパーロボット大戦シリーズなどの4コマ漫画レーベルとして「4コマ戦線」が立ち上げられた。
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片山タコラ(1996年) 佐々野悟(1996年) ばさらん(1996年) 坂本つくね(1996-2003年) - 今木商事の実妹。 難波潮(1996-97年) ピョコタン(1996年) - 代表作に『アホ汁』シリーズ等。 大杉正和(1997年) 神楽つな(1997年-2002年) - まつやま登の夫。代表作に『こみ小話』等。 葉連D丸(1997年) - 4コママンガ劇場でも執筆。 ほしのえみこ(1997-2002年) - 代表作に『お姉さまの逆襲』等。 大賀(1997年-2003年) - 2001年頃より「大賀一五」名義に改名。 今田浩&矢野間(1997-2000年) - 1999年頃より「いまだひろし&ヤノハザマ」名義に改名。 田島朋(1998-2002年) 野々原ちき(1998-2002年) - 代表作に『姉妹の方程式』等。 ひびきひこ(1999年) 渡辺きりか(1999-2002年) 牧原ひさと(1999年-2003年) - 4コマギャグバトルシリーズでも執筆。 森山一保(1999年-2003年) - 代表作に『こども刑事めめたん』。 新庄聡美(2000年) - 4コマギャグバトルシリーズでも執筆。
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