1958年の機体発見
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「レディ・ビー・グッド (航空機)」の記事における「1958年の機体発見」の解説
搭乗員が放棄した後も機体は南の方向へ飛行を続けた。ほぼ原形を留めた残骸と着地の瞬間まで1基のエンジンが稼働していたことを示す証拠により、機体は非常に浅い角度で徐々に高度を下げ、開けた平らな砂原に胴体着陸したことが想像された。 墜落現場発見の最初の一報は1958年11月9日に空を航過したイギリスの石油資源探査隊からもたらされた。この隊はウィーラス空軍基地当局へ連絡したが、その地域に墜落したと考えられる機体に該当する如何なる航空機の存在を示す記録は見つからなかった:p.25。この残骸の位置は翌年にカランシオ砂海の探索のために派遣される予定の石油資源探査隊が活用するために地図上に記録された:p.25。 1958年5月16日の初の発見と6月15日に再度空中から目視されたのに続いて 1959年2月27日にイギリスの石油資源調査員ポール・ジョンソン(Paul Johnson)がサルークの南東710 km (440 mi)の北緯26度42分45.7秒 東経24度01分27秒 / 北緯26.712694度 東経24.02417度 / 26.712694; 24.02417辺りで墜落機の残骸を目撃した。1959年5月26日にウィーラス空軍基地から墜落現場へ最初の回収班が送り出された。 機体は2つに分割されていたが保存状態は良好で、機関銃や通信機は作動し、食料や水といった物資も残されていた。発見された魔法瓶の中の紅茶はまだ飲める状態であった。機内や墜落地点付近に遺体は見当たらず、パラシュートも発見されなかった。機内の状況は搭乗員が脱出したことを示しており、まさに初陣であった航法士ヘイズ少尉のログブックの記録はナポリで終わっていた。 「レディ・ビー・グッド」の残骸 機首 尾部銃塔 背面銃塔と機体中央部
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