1949年:世界初の無着陸世界一周飛行
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「ラッキーレディ・ツー」の記事における「1949年:世界初の無着陸世界一周飛行」の解説
ラッキーレディ・ツーは第43爆撃群(英語版)所属機で、12.7 mm機関銃12門に加え、航続距離を延長するべく爆弾槽に追加燃料タンクを装備していた。乗組員は通常の倍に、パイロットは3人に増員されており、彼らは4時間から6時間毎に交代で勤務にあたった。 1949年2月26日12時21分、機長ジェイムズ・ギャラガー大尉(James Gallagher)以下14名の乗組員を乗せたラッキーレディ・ツーはテキサス州フォートワースからほど近いカーズウェル空軍基地(英語版)を離陸、大西洋に向かって東進し、世界一周旅行に出発した。 3月2日10時22分、ラッキーレディ・ツーはカーズウェル空軍基地に帰還し、世界一周を終えた。この世界一周飛行における飛行距離は23,452 mi (37,742 km)、飛行時間は94時間1分(予定より2分短かった)であった。 飛行中の空中給油にはKB-29M給油機が用いられた。KB-29M給油機ではグラップルドライン・ループドホース(grappled-line looped-hose)という給油方式が採用されていたが、この方式はラッキーレディ・ツーの飛行からまもなくして廃止されている。給油はラジェス航空基地(アゾレス諸島)、ダーラン飛行場(サウジアラビア)、クラーク空軍基地(フィリピン)、ヒッカム空軍基地(ハワイ)の上空にて実施された。 この世界一周飛行におけるラッキーレディ・ツーの飛行高度は10,000から20,000ft (3,000から6,100m)程度、平均対地速度は249 mph (401 km/h; 216 kn)であった。 ラッキーレディ・ツーが帰還した時、カーズウェル空軍基地では戦略航空軍団司令カーチス・ルメイ中将、空軍長官スチュアート・サイミントン、空軍参謀総長ホイト・ヴァンデンバーグ大将、第8空軍司令ロジャー・M・ラミー少将(Roger M. Ramey)などの政府・軍高官が乗組員らを迎えた。ルメイはこの飛行任務の意義について語り、アメリカ空軍が今や合衆国本土から「世界中の原爆が必要とされるあらゆる場所」に対する爆撃能力を有する事実を示すものとして重要性を強調した。彼はまた、戦闘機にも空中給油を実施しうるとも述べている。空中給油についてはサイミントンも触れており、これによって「中型爆撃機が大陸間爆撃機に変貌する」と述べた。 乗組員はそれぞれが殊勲飛行十字章を受章したほか、全米航空協会(英語版)からは1949年度マッカイ賞(英語版)を、空軍協会(英語版)からはエア・エイジ賞(Air Age Trophy)を贈られた。 なお、グローバル・クイーン(Global Queen)というB-50爆撃機がラッキーレディ・ツーと同様の任務を遂行するべく2月25日に離陸しているが、エンジン火災の為にラジェス航空基地ヘの着陸を余儀なくされている。ルメイは世界一周飛行の実施にあたり5機のB-50爆撃機を手配しており、このうち少なくとも1機が成功すればよいとしていた。また、乗組員や資材の輸送等に割り当てられた準備期間はわずか4週間だった。
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