1941~43年
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「バンカー・ヒル (空母)」の記事における「1941~43年」の解説
バンカー・ヒルは、1941年(昭和16年)9月15日にマサチューセッツ州クインシーのベスレヘム・スチール株式会社・フォアリバー造船所にて起工した。1942年12月7日、ドナルド・ボイントン夫人の後援のもと進水、1943年(昭和18年)5月24日に初代艦長J・J・バレンタイン(英語版)大佐の指揮下で就役した。 バンカー・ヒルは6月末にバージニア州ノーフォークで飛行隊を載せ、7月15日に整調航海のためトリニダードに向かった。3週間後にノーフォークに戻り、9月4日にパナマ運河、サンディエゴ、真珠湾を経由して太平洋戦線へ向かった。 バンカー・ヒルには、1943年(昭和18年)1月に新設された海軍第17戦闘飛行隊(VF-17(英語版))が乗り込んでいた。VF-17は最新鋭のF4Uコルセア戦闘機の性能に着目し、離着陸に難のあったコルセアを空母で運用できるよう訓練を重ね、空母運用資格試験に合格した。しかし真珠湾に向け航海する途上、海軍がコルセアを空母で運用しないことを決定し、VF-17は空母を降りてソロモンの陸上基地に展開、代わりにF6Fを運用するVF-18がバンカー・ヒルで運用されることとなった。 「ろ号作戦」および「ブーゲンビル島沖航空戦」も参照 バンカー・ヒルは10月19日に真珠湾を出港して太平洋に向かい、モントゴメリー少将の指揮下に入る。そこで新型正規空母エセックス (USS Essex, CV-9) 、軽空母インディペンデンス (USS Independence, CV-22) らと第50任務部隊第3群を編成した。そして11月11日、第二次ラバウル空襲を実施する。第50.3任務部隊の攻撃隊は、邀撃してきたラバウル航空隊や第一航空戦隊(瑞鶴、翔鶴、瑞鳳)派遣部隊の零式艦上戦闘機と交戦しつつ、ラバウル在泊の水上艦艇を攻撃した。第50.3任務部隊は駆逐艦涼波を撃沈し、軽巡洋艦阿賀野と駆逐艦長波を撃破、駆逐艦若月や浦風に小被害を与えた。この作戦において、かつて運用していたVF-17がVF-18と協同し、空母の上空警戒を担当することとなった。ラバウルから飛来した第一航空戦隊の攻撃隊を、第50.3任務部隊は直掩機と対空砲火で迎撃する。VF-17のコルセアは再び着艦フックを装着し、バンカー・ヒルに着艦して給油を受けながら警戒任務を遂行した。バンカー・ヒル艦上での活躍によりコルセアは艦上戦闘機として有望であることを示し、やがて空母部隊に広く配備されることとなる。 「ギルバート・マーシャル諸島の戦い」および「タラワの戦い」も参照 11月13日からギルバート攻略作戦(ガルヴァニック作戦)が開始され、バンカー・ヒルはタラワ環礁攻略にあたり航空支援を行い、同作戦の支援にあたった(連合軍海上部隊の戦闘序列)。
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