1941年12月 モスクワの戦い
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「第33SS武装擲弾兵師団」の記事における「1941年12月 モスクワの戦い」の解説
ポーランドでの訓練を終えた後の1941年11月、反共フランス義勇軍団はドイツ陸軍第638歩兵連隊(Infanterieregiment 638)としてドイツ陸軍第7歩兵師団(7. Infanterie-Division)に所属し、東部戦線におけるモスクワの戦いに参加した。 1941年12月1日、反共フランス義勇軍団はモスクワ近郊の寒村で初めてソビエト赤軍と交戦した。しかし、2時間程度の短い戦闘であったにもかかわらず、彼らは敵の猛攻によって死傷者を続出し、吹雪の中を逃げ惑うという醜態をさらした。この戦闘の結果を知ったドイツ軍上層部は、反共フランス義勇軍団に戦意が欠けていると判断して彼らを最前線から引き揚げ、戦線後方での任務に就くよう命じた。 1942年、反共フランス義勇軍団はドイツ占領下の白ロシア・ソビエト社会主義共和国においてパルチザン掃討任務に就いたが、同年3月、指揮能力の乏しい指揮官ロジェ・ラボンヌ大佐(Colonel(Oberst) Roger Labonne)がパリに呼び戻された(事実上の解任)。その後、反共フランス義勇軍団は東部戦線の後方地域において様々なドイツ軍師団を転属した。
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