1941~1943年
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「マッコール (DD-400)」の記事における「1941~1943年」の解説
太平洋に配属されたマッコールは、日本軍による真珠湾攻撃の際、エンタープライズの第8任務部隊に所属し、ウェーク島から真珠湾に向かって航行していた。第8任務部隊は直ちに日本艦隊の索敵を開始し、12月10日に潜水艦伊70をエンタープライズの空爆により撃沈したが、真珠湾に戻るまでに発見できた艦艇はその1隻のみであった。マッコールは1941年の残りの期間、エンタープライズの護衛のためハワイ海域にとどまった。 1942年の初め、マッコールはエンタープライズ及びヨークタウンと共に、マーシャル・ギルバート諸島機動空襲に参加、2月1日に攻撃を行い2月5日に真珠湾に戻った。2月15日、第16任務部隊に編成され、ウェーク島の攻撃に参加、3月10日にオアフ島に戻った。 マッコールはその後6週間ハワイの海域での哨戒任務に就き、続いてハワイからサモア、フィジー、トンガの島々への護衛任務を行った。5月末、日本軍がアラスカに進軍する中、マッコールはアリューシャン列島に向かって北へ航行した。夏の間はアラスカのコディアック島を哨戒し、アリューシャン列島西部にて日本軍の攻撃に参加した。マッコールは9月30日に真珠湾に戻り、船体の整備を受けた後1942年11月12日に南太平洋で第11任務部隊に配属され、ガダルカナル島の戦いに参加した。 その後10か月に渡り、ソロモン諸島海域にてヌメアから対潜哨戒を行い、空母と護送船団を護衛した。1943年9月19日、マッコールはカリフォルニア州サンフランシスコへの護送船団を護衛のため西海岸に向かい、オーバーホールを受けた。
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