1910年の改正
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/05 20:03 UTC 版)
これを改善すべく、会社では1910年7月から9月にかけて運賃制度を改正し、同時に当時開通した郊外路線に対応するため、路線のうち市内中心部を「市内線」、郊外を「市外線」に分けて運賃体系を構築し直した。 従来の市内線では、均一料金制は変えないままに普通乗車券を廃止して時間制乗車券に一本化、種類も30分間有効の「半時間乗車券」、1時間有効の「一時間乗車券」に増やした。この時の運賃は半時間乗車券が特等5銭・並等4銭、一時間乗車券が特等6銭・並等5銭で、運賃を全体的に下げるとともに、特等と並等の幅を小さくした。 新設の市外線は、区間制で1区進むごとに一定の運賃が加算されて行く方式を採ることになり、1区あたり特等5銭・並等4銭とされた。こちらは普通乗車券のみである。ただし市外線の乗車券では市内線での乗換が出来ないこともあり、市外線から市内線への直通電車に乗車して市内線に入る場合は、境界電停までの普通乗車券と市内線の時間制乗車券の2枚を買う必要があった。 回数券も発売額を改め、30回券が特等1円20銭・並等1円として発売された。児童通学券は60回券を廃止して30回券に一本化されたが、市内に中学校や専門学校が新設されて小学生以上の学生が増えたため、翌1911年2月に小学生以外でも学生なら使用出来る「学生回数券」に改め、30回券並等のみを30銭で発売した。なお、これらの回数券は扱いが特殊で、市内線では1回乗車ごとに、市外線では1区ごとに1回分の使用となり、時間制乗車券への引換などは出来なかった。 また定期券は1911年2月に学生向けの1ヶ月定期である「学生一箇月券」を45銭で発売し、1912年5月からは南満州鉄道沙河口工場通勤者向けの1ヶ月定期である「工場通勤券」を特等2円40銭・並等2円で発売した。この他、特殊な定期券として1911年7月からは夏向けの観光定期券として「夏期期間券」を3ヶ月定期と4ヶ月定期の2種類発売、前者が特等9円・並等8円、後者が特等11円・並等10円であった。また同年から断続的に、水泳場へ通う青少年向けに「水泳券」と称する1ヶ月定期を45銭で発売していた。 この頃から貸切運賃も設定され、区間極と時間極の2種類が設定された。前者は1回貸切の場合で、市内線のみ・市外線のみ・市内市外直通の別があり、後者は半日貸切・1日貸切の別があった。特徴的なのは電車だけでなく貨車も貸し切ることが出来たことで、市内線では石材を運ぶ時のみ割増であった。
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