1910年代 - 1930年代とは? わかりやすく解説

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1910年代 - 1930年代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 03:06 UTC 版)

シカゴ・カブス」の記事における「1910年代 - 1930年代」の解説

1910年リーグ優勝以降、しばらくチーム優勝から遠ざかることとなる。1913年にはエバース1916年にはティンカーそれぞれ選手兼任監督務めたが、どちらも優勝には届かなかった。1916年には本拠地現在のリグレー・フィールド移した。この球場は元々は1914年には「第3リーグ」としてMLBへの加入求めていたフェデラル・リーグシカゴ・ホエールズ本拠地球場だったが、1915年フェデラル・リーグ解体の際、ホエールズ経営陣(チャールズ・ウィーグマン(英語版)、ウィリアム・リグレー(英語版)ら)にカブス譲渡されたの期に老朽化進んでいたウエスト・サイド・パークから移転するとなったのである1918年カブスリーグ優勝果たしたが、この球場初開催となったボストン・レッドソックスとのワールドシリーズでは当時投手務めていたベーブ・ルースに2敗を喫し、2勝4敗で敗れている。以降は再び優勝とは縁のないシーズン続いた1926年、後にニューヨーク・ヤンキース黄金時代を築くことになるジョー・マッカーシー監督就任1929年にはロジャース・ホーンスビー獲得しこの年には久々リーグ優勝果たした。翌1930年シーズン途中マッカーシーチーム離れると、ホーンスビー選手兼任監督就任同年にはハック・ウィルソン当時ナ・リーグ記録となる56本塁打MLB最多となる191打点記録したが、セントルイス・カージナルス優勝奪われてしまった。翌1932年には3位に沈むなど、成績が振るわなかったことから1932年シーズン途中ホーンスビー監督解任され一塁守っていたチャーリー・グリム(英語版)が選手兼任監督就任するグリム監督になるとチーム一気白星重ね首位ピッツバーグ・パイレーツかわしてリーグ優勝を果たす。しかし、ワールドシリーズではマッカーシー率いヤンキース対戦し第3戦ではルース予告ホームラン飛び出すなど、いいところなく4連敗喫してしまった。その後グリム監督の下でチーム安定した強さ誇り1935年にもリーグ優勝を果たすものの、ワールドシリーズではタイガース敗れまたしてもワールドシリーズ優勝はならなかった。

※この「1910年代 - 1930年代」の解説は、「シカゴ・カブス」の解説の一部です。
「1910年代 - 1930年代」を含む「シカゴ・カブス」の記事については、「シカゴ・カブス」の概要を参照ください。

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