1910年代のブーム
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/20 06:48 UTC 版)
「オーストラリアの映画」の記事における「1910年代のブーム」の解説
オーストラリアにおける初めてのブームは1910年代におこった。1910年には4本の長編映画が公開されたが、その数は翌年1911年には51本に急増、1912年には30本、第一次世界大戦の始まった1914年には再び4本に減少した。数の増減はあったものの、当時オーストラリアは世界中で最も映画産業が盛んな国の1つであった。 この映画産業の衰退については様々な説がある。ある歴史家は観客数の減少、オーストラリア産の映画に関する関心の欠如、第一次世界大戦への参戦などが影響したと見ている。しかしながら、大きな理由の一つとして、1912年に原住民に関する映画が禁止されたことが考えられる。代わりとなる作品を探していたオーストラリアの劇場は、オーストラリアで映画を製作すると、アメリカから映画を輸入するより高くつくことに気がついた。この状況を改善するため、1914年に連邦政府は映画の輸入に対して課税をはじめた。しかしこの税は1918年に廃止された。1923年には、オーストラリアで上映される映画の94%がアメリカ映画になってしまった。
※この「1910年代のブーム」の解説は、「オーストラリアの映画」の解説の一部です。
「1910年代のブーム」を含む「オーストラリアの映画」の記事については、「オーストラリアの映画」の概要を参照ください。
- 1910年代のブームのページへのリンク