1867年から1942年まで:王領植民地としての海峡植民地
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「シンガポール法」の記事における「1867年から1942年まで:王領植民地としての海峡植民地」の解説
1867年4月1日、1866年海峡植民地法(Straits Settlements Act 1866)により、海峡植民地はインドから分離され、別の王領植民地(Crown colony)となった。立法権のある別の立法評議会(Legislative Council)が、海峡植民地のために設置された。立法評議会によって制定された制定法を「条例」(ordinance)という。 1868年最高裁判所条例(Supreme Court Ordinance 1868)(S.S.)によって、海峡植民地法院(Court of Judicature of the Straits Settlements)は廃止され、その代わりに海峡植民地最高裁判所(Supreme Court of the Straits Settlements)が設置された。知事(Governor)および駐在参事官(Resident Councillor)らは、裁判官ではなくなった。 1873年、最高裁判所は、再構成され、首席判事(Chief Justice)およびペナン判事(Judge of Penang)ならびに上席・下級の陪席判事(Puisne Judge)によって構成されることとなった。最高裁判所には2つの部が置かれ、1つはシンガポールおよびマラッカに、もう1つはペナンに置かれた。シンガポールが海峡植民地における政治・経済の中心地となるにつれ、首席判事と上級陪席判事はシンガポールに駐在することが求められるようになり、これに対してペナン判事と下級陪席判事はペナンに駐在することとなった。最高裁判所はさらに民事事件について控訴院(Court of Appeal)としての管轄権も与えられた。イングランドにおける裁判所の構成の変更に伴い、1878年には裁判官の管轄と駐在はよりフレキシブルとなり、最高裁判所の地理的な分離は暗に廃止された。裁判所の階層構造も初めて定められ、海峡植民地最高裁判所(Supreme Court of the Straits Settlements)、請願裁判所(Court of Request)、二人治安判事裁判所(Court of Two Magistrates)、治安判事裁判所(Magistrates' Court)、検死官裁判所(Coroners' Court)および治安判事(Justice of the Peace)によって構成されることとされた。最高裁判所の判断に対する上訴は、まずは控訴院(Court of Appeal)に対してなされ、さらにその上で枢密院における女王(Her Majesty in Council)になされたが、後者への上訴を取り扱ったのは枢密院司法委員会(Judicial Committee of Her Britannic Majesty's Privy Council)であった。 1878年にはまた、後に民事法法(Civil Law Act)第5条として知られる規定が海峡植民地に導入された。この規定の内容は、一定の範疇の法または商事法一般に関連する疑問または問題が現地で生じた場合には、施行されるべき法は同時代におけるイングランドにおいて施行されている法と同一のものとするが、現地で効力を有する法により異なる規定が定められている場合にはこの限りでない、というものであった。この規定が必要と考えられたのは、海峡植民地最高裁判所が、当該植民地においては効力を有しない制定法の存在を前提とするイングランドの判例法に従う傾向にあったためである。また、コモン・ローは帝国全域にわたって共通であるべきであるとの一般的な心情もあった。しかしながら、第5条の表現ぶりは、イングランドのどの制定法が現地でも適用があるのかの判断にさらなる困難をもたらした。1979年にこの規定には大幅な変更が加えられたが、この問題が解決されたのは、これが最終的に廃止された1993年のことであった(後述)。 1885年裁判所条例改正(Courts Ordinance Amendment 1885)(S.S.)により、最高裁判所の構成は再び変更され、首席判事(Chief Justice)と3名の陪席判事(puisne judge)により構成されることとなった。1907年には、最高裁判所の管轄は、大幅は見直しがなされた。最高裁判所は2つの部に分けられた。民事部(Civil Division)と刑事部(Criminal Division)である。いずれも第一審と上訴審の双方を管轄した。さらに、地方裁判所(District Court)と警察裁判所(Police Court)が、治安判事裁判所(Magistrates' Court)に置き換わる形で設置された。 請願裁判所(Court of Requests)は、その管轄がその後数年間のうちに大幅に削減された後に、廃止された。裁判所制度の大きな変更のうち、第二次世界大戦前における最後のものは、1934年に刑事上訴裁判所(Court of Criminal Appeal)が基本的には最高裁判所の管轄の拡張として創設されたことと、1936年に最高裁判所が高等法院(High Court)と控訴院(Court of Appeal)によって構成されることが宣言されたことである。
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