1867年、明治維新
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「精神保健の歴史」の記事における「1867年、明治維新」の解説
1872年(明治5年)、ロシア帝国皇太子が訪日するにあたり、明治政府は東京府東京市本郷の元加賀藩邸跡(現・東京大学構内)の空き長屋に営繕会議所附属養育院(現・地方独立行政法人東京都健康長寿医療センター)が設置され、巷の生活困窮者などを狩込み収容する。精神障害者部門は、明治12年7月に上野恩賜公園内に「東京府癲狂院」を設置、これが後の東京府巣鴨病院を経て、東京都立松沢病院となる。 1873年(明治6年)、文部省の医務課が医務局になり、明治政府が本格的に衛生行政に着手した。 1874年(明治7年)、文部省が東京府、京都府、大阪府に対し医制を発布し、癲狂院(てんきょういん、当時の精神科病院はこのように呼ばれた)の設立を規定。 1875年(明治8年)、京都府の南禅寺境内に日本初の公立精神科病院「京都府療病院付属癲狂院」(現・川越病院)設立。 1875年(明治8年)、路上の狂癲人の取扱いに関する行政警察規則が制定される。 1878年(明治11年)、東京府に日本初の私立精神科病院、加藤瘋癲病院が認可される。 1879年(明治12年)、相馬事件が起こる。 1879年(明治12年)、帝国大学医科大学(現・東京大学医学部)に日本初の精神医学講座が設置される(初代教授は榊俶)。 1879年(明治12年)、癲狂院、のちの根岸病院。北豊島郡金杉村(台東区根岸)に開院し、私立精神病院の第二例となる。
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