1335-1900
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「八丈方言関連の文献一覧」の記事における「1335-1900」の解説
???(1335-1653)『八丈島年代記』;『八丈実記』原本5巻所収。 ???(1660-1718)『八丈島日記並に日記』;『八丈実記』原本5巻所収。;語彙が載る可能性あり。 ???(1604-1782)『八丈島年暦抜書』;『八丈実記』原本5巻所収。 池則満(1745-1746)『八丈島漂渡記』 大村某(1751)『八丈物産誌』 佐藤行信(1782)『海島風土記』佐藤行信(1781-1788)『伊豆海島風土記』;「海島風土記」と同じ語彙。 ???(?)『沖の小島記』;「海島風土記」と同じ語彙。 ???(1789-1801)『八丈島』(寛政年間) ---- 金田章宏(2001)より。存否不明。 秋山章(1791)『南方海島志』荻原正夫(1901)『伊豆七島志』;『南方海島志』を補修したもの。 田村元長(1793頃)『豆州諸島物産図説』;語彙が載る可能性あり。 応斎(1796)『七島日記』応斎(1929)『伊豆七島日記』;『七島日記』の一種。『民俗資料叢書第4編』所収。 応斎(1929)『巡島日記抄』;『七島日記』の一種。『民俗資料叢書第4編』所収。 ???(?)『八丈島記』;『七島日記』の一種。 古河正辰(1797)『八丈島筆記』内閣文庫 三島正英(1801)『伊豆七島風土細覧』 高橋与一(1802)「八丈島語集」『園翁交語』吉町義雄(1951)「『園翁交語』と『八丈実記』の島言葉」『文学研究』42、九州大学 松田兵右衛門(1804-1817)『八丈島流人之咄』 大原正矩(1811)『八丈志』大原正矩(1811)『八丈誌』;『八丈志』と同内容か。 服部義高(1811)『八丈裁衣織』 大田南畝(1779-1820)「八丈島方言」「八丈島俗通志」『一話一言』 ???(1822)『八丈島々日記』 ---- 金田章宏(2001)より。存否不明。 ???(1831-1847)『三宅島新島八丈島三ヶ島刑法大秘鑑』 伴信友(1841)『八丈島謡詞』(伴信友校蔵書第54冊);語彙が載る可能性あり。 鶴窓帰山(1848)『やたけの寝覚草』中田祝夫(1985)『八丈の寝覚草』勉誠社文庫133;鶴窓帰山『八多化の寝覚草』の影印・翻刻・解説 鶴窓帰山(?)『八丈島言語集』筑波大国書 ---- 金田章宏(2001)より。存否不明。 井上正文(1848)「天下大平風雨時順五穀成就村内安全■■拓虫除祈祭文」;語彙が載る可能性あり。 ???(?)『八丈四島日記「海島志」抄』 近藤富蔵(1855)『八丈実記』???(1996.09)「長戸路家文書」(末吉小学校) ---- 東京都公文書館に蔵書あり。 八丈実記刊行会(1964-1976)『八丈実記』1-7巻、緑地社 吉町義雄(1951)「『園翁交語』と『八丈実記』の島言葉」『文学研究』42、九州大学 近藤富蔵翁没後百年記念事業実行委員会(1994)『没後百年記念誌 近藤富蔵』近藤富蔵翁没後百年記念事業実行委員会 佐藤友之(1995)『江戸の流刑囚 近藤富蔵』 F. V. Dickens & E. Satow(1878)「Notes of Visit to Hachijo in 1878. -Dialect.」『日本アジア協会会報』6 曲直瀬愛(1883)『小笠原島物産誌略』小笠原村教育委員会蔵;植物語彙などの記載あり。 永井甃石(1894)「八丈島の嫁娶」『風俗画報』(75), 4-5.;語彙が載る可能性あり。 浅沼禎一(1898)「八丈島俚諺」『東京人類学会雑誌』13(148), 420-421.;語彙が載る可能性あり。 保科孝一(1899)「八丈島見聞録」『太陽』5巻4,5,6,7号;語彙が載る可能性あり。 保科孝一(1900)「八丈島方言」『言語学雑誌』1巻2,3,4,7,10号 坂本正行(1900.09.30)「近藤富蔵が”告白”英国外交官アーネスト・サトウに」「八丈島のヤマモモ」『南海タイムス』第2518号
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