1球目から10球目
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/15 22:19 UTC 版)
1球目、江夏は先頭の羽田耕一が「慎重に攻めてくる」と考え、初球から外角へ速球を投じてストライクを取りに行ったが、羽田はそれをセンター前へ打って出塁した。羽田は初球からストレートを狙っており、「直球が来たら何でも振ってやろう」と思っていたという。江夏は第3戦での対戦(結果は飛球)を基に羽田の力量を軽視していた部分があり、この安打を「痛かった」と述べている。江夏自身も手を抜いたわけでは無いが、相手打者に初球を狙われる傾向があり、実際にそのシーズンに浴びた10被本塁打のうち7本が初球を打たれたもので、しかも長距離打者ではないタイプに打たれたと述べている。 藤瀬史朗の盗塁は傍目には単独スチールと映ったため、ネット裏で観戦していた野村はこの場面でのスチールを「えらい冒険」と表現し、「石橋を叩いても渡らない」ほどの慎重な西本の性格からすると作戦的に邪道に見えると述べている。しかし、この盗塁はヒットエンドランだったのをクリス・アーノルドが見落としていたため、結果的に「藤瀬の盗塁」になったものである。俊足の藤瀬だが、ヒットエンドランの場合は作戦の露見を防ぐために通常の盗塁よりスタートを遅らせるため、藤瀬は走り出してからアーノルドがサインを見落としたことに気付き、その瞬間に二塁でアウトになることを覚悟したという。水沼の二塁送球は完全にアウトのタイミングだったが、送球がワンバウンドとなってセンターへ抜けてしまったために藤瀬は三塁まで到達し、ヒットエンドランの作戦は失敗したものの無死三塁という一打同点の可能性が広まったことで、西本はベンチで苦笑いを浮かべていた。当の西本自身も試合後、「あの場面でスチールが無いのは当然。ヒットエンドランのサインだった」と認めている。 一方、江夏側はこのアーノルドとの対戦に際し、近鉄側が何かを仕掛けてくると察知していた。だが、江夏は藤瀬の走塁は構わないと考え、それよりアーノルドとの対戦に集中しようと考えていた。それは、第2戦でも同様に藤瀬をランナーに背負った場面があり、その際に両者とも抑えようと気負った結果、チャーリー・マニエルに打たれた経験があったからである。ただ、アーノルドは空振りが多いことからヒットエンドランは無いと考えていた。 江夏が6球目にアーノルドへ四球を与えた後、広島の古葉竹織監督は内野陣に前進守備を指示した。通例であれば代走・吹石徳一の二盗を防ぐために守備を下げるところだが、緩い内野ゴロを打った際に三走・藤瀬が本塁に突入する危険があったため、「同点にされたら負ける」と考えた古葉は、1点たりとも与えない狙いの元、吹石の盗塁覚悟で前進守備を選択した。ネット裏の野村の目には、この前進守備はサヨナラの可能性を増大させる危険な選択として映った。これと同時に、古葉は北別府にブルペンへ向かわせ、既に池谷公二郎が投球練習を開始していた。ブルペンが動くとは思わなかった江夏は「オレはまだ完全に信頼されていないのか」と内心で憤り、「ここで変えられるくらいならユニフォームを脱いでもいい」とまで思ったという。古葉はこの采配を、同点延長になって江夏に代打を送った後の守備(当時の日本シリーズには指名打者制を採用していなかった)を考慮したためと後に語っており、江夏の心情までは考えなかったとしている。 7球目で江夏は、スクイズを警戒して高めに外した。次の8球目では膝元へ落ちるカーブを投げ、外れてボールになったが平野光泰がハーフスイングを取られてストライクとなり、江夏は「このボール(カーブ)はいける」と思ったという。このカーブはフォークと呼ばれることもあるが、江夏はプロ野球投手としては指が短く、しっかりとしたフォークは投げられないとしていた。一方の平野はこの7球目、8球目を見て江夏が動揺し、制球が乱れていると考えた。江夏は確かに動揺していたがそれは前述にある自軍のベンチに対するもので、平野や走者に対する動揺では無かった。次の9球目で吹石が盗塁し、平野との勝負は中断するが、広島は前進守備を敷いていたため、「予定通り」の盗塁だった。
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