007便の概要
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/02 06:22 UTC 版)
「大韓航空機撃墜事件」の記事における「007便の概要」の解説
大韓航空007便はアメリカ・ニューヨークのジョン・F・ケネディ国際空港を出発し、アラスカのアンカレッジ国際空港を経由、大韓民国・ソウルの金浦国際空港に向かう、当時週4便で運航されていた定期便であった。なお、この便は1979年4月に開設されたもので、事故機には “I LOVE NEW YORK” というステッカーが貼られていた。 当日使用された機体はボーイング747-230(機体記号HL7442)で、ファーストクラスとエコノミークラスの2クラスが用意され、乗客240人、乗務員は千炳寅(チョン・ビョンイン)機長以下29人(うち6人が「デッドヘッド」= 業務移動のため乗務した非番の乗務員)であった。乗客乗員の国籍は下のとおりである。 国籍人数 オーストラリア 2 カナダ 8 ドミニカ共和国 1 イギリス領香港 12 インド 1 イラン 1 日本 28 韓国 105 76(乗客)23(乗務員)6 (デッドヘッド乗務員) マレーシア 1 フィリピン 16 中華民国(台湾) 23 スウェーデン 1 タイ 5 イギリス 2 アメリカ合衆国 62 ベトナム 1 合計 269 発着国の韓国人とアメリカ人の乗客が多くを占めたが、ソウルで乗り継ぎ自国へ向かう日本、中華民国、フィリピン、当時はイギリスの植民地であった香港の乗客も多かった(なおフィリピン人のうち、4人は在日在住者で、そのうちの1人は、横浜市のセント・ジョセフ・インターナショナル・カレッジに通学する小学生であった。また、カナダ人のうち1人は鹿児島市のラ・サール中学校・高等学校の関係者であった)。 また、業務渡航客から観光客まで幅広い層が利用する路線であったことから、中東から帰国する出稼ぎ労働者が、その犠牲者の多くを占めた1987年の大韓航空機爆破事件と比べると、犠牲者の年齢層も幅広い(日本人の犠牲者で最年少は3歳の男児だった)。 なお日本人乗客の多くは、日本航空やパンアメリカン航空の直行便に比べて、航空券が安価な大韓航空を使い、金浦国際空港を経由して日本へ帰国する観光客や留学生であった。特に九州をはじめとする西日本在住者にとっては、成田経由で移動するよりも、ソウルを経由した方が安価で利便性も良かったため、アメリカとの移動においてソウル経由で移動するケースも少なくなかった。
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