鮮明野党VS穏健野党とは? わかりやすく解説

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鮮明野党VS穏健野党

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/11 13:46 UTC 版)

韓国における政党史」の記事における「鮮明野党VS穏健野党」の解説

当時の有力野党である新民党においては、党総裁であった柳珍山中心とする対政府穏健派と、金泳三金大中中心とする対政府強硬派対立があり、強硬派一部議員民主統一党結成した1974年4月28日総裁急死したことを受けて8月総裁選挙で当時45歳金泳三総裁当選し、「鮮明路線貫き、「維新体制」の打倒憲法改正強く主張し院外闘争積極的に展開した。 しかし、党内では「鮮明路線を貫くことで政府から弾圧されることを恐れ穏健派離反招き対立激化した。そして、1976年9月党大会では穏健派多数占め総裁による単一指導体制から集団指導体制へと変更、代表最高委員選挙においても、71年予備選挙大統領候補の座を金泳三金大中争った穏健派李哲承勝利した盤石思われ維新体制対す反発年を追う毎に強くなり、1978年総選挙では、新民党議席数でこそ共和党優位61名対68名)を許したが、得票率では32.3%対31.2%と与党上回る結果となった党内では再び強硬派勢い強くなり、1979年5月総裁選挙で金泳三当選した。これに対して同年8月13日、同党の地区委員長3名が党総裁選挙において党員資格がない者が投票したので選挙無効であるとして、金泳三総裁副総裁4名(李敏雨永録、趙尹衝、李基澤)の職務停止仮処分申請ソウル民事地方裁判所提出した仮処分申請受けた裁判所9月8日金泳三総裁副総裁4名の職務執行権限行使停止鄭雲甲(全党大会議長)を総裁職代行者任命する決定下した。この事態対し新民党金泳三体制転覆させようとする政治的謀略だとして強く反発党内金泳三総裁鄭雲甲総裁代行間で激しい対立生じたが、その後10月26日朴正熙暗殺され事件1026事件)によって政局大変動したことを受け、仮処分申請取り下げられ金泳三中心とする党指導部はその機能回復することが出来た

※この「鮮明野党VS穏健野党」の解説は、「韓国における政党史」の解説の一部です。
「鮮明野党VS穏健野党」を含む「韓国における政党史」の記事については、「韓国における政党史」の概要を参照ください。

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