鮮烈デビュー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/03 03:45 UTC 版)
「アルバート・プホルス」の記事における「鮮烈デビュー」の解説
プロ1年目の2000年はマイナーリーグA級ピオリアで開幕を迎え、AAA級メンフィスに昇格。3クラス合計で打率.314・19本塁打・96打点という成績を残し、球団のマイナー最優秀選手として表彰された。 2001年のスプリングトレーニングでプホルスを観たマーク・マグワイアが才能を見出し、監督のトニー・ラルーサに「彼をロースター入りさせた方がいい」と進言。GMのウォルト・ジョケッティは、この年もプホルスをAAA級メンフィスに置いて経験を積ませる方針だったが、その後のオープン戦でも好成績を残したため、開幕メジャー入りさせることにした。 開幕戦に「6番・左翼手」で出場しメジャーデビューを果たす。その後、三塁のレギュラーと目されていたボビー・ボニーヤが故障したため三塁に入り、更に右翼・一塁と様々なポジションに就きながらも、1試合に欠場したのみで、打率.329、37本塁打、130打点という新人離れした成績を挙げた。シーズン終了後にはナ・リーグ新人王を満票で受賞し(史上9人目)、MVP投票でも4位に入った。三塁手部門でシルバースラッガー賞も受賞しているが、三塁手として先発出場したのは約50試合で、一塁手・左翼手・右翼手としてもそれぞれ約35試合ずつ先発出場している。 2002年は主に左翼で出場し、打率.314、34本塁打、127打点を記録し、MLB史上初のデビュー年から2年連続で3割・30本塁打・100打点を達成。MVP投票ではバリー・ボンズに次ぐ2位となる。 2003年には打率.359、212安打を記録し、自身初の打撃タイトルとなる首位打者・最多安打を獲得した。95長打、51二塁打でもリーグ1位となった他、本塁打は自己最多の43本を放ち、1922年のロジャース・ホーンスビー以来となる球団史上2人目の40本塁打、200安打を達成した。MVP投票ではまたもボンズに次ぐ2位だったが、この活躍を受けて球団は翌2004年のシーズン開幕前に、7年1億ドルの契約を結んでいる。 2004年から本格的に一塁手へ転向。打撃では史上12人・15回しか達成していないシーズン100長打にあと1本まで迫り、46本塁打(リーグ2位)、123打点(同3位)を記録した。またチームメイトのスコット・ローレンとジム・エドモンズもシーズン30本塁打を達成し、"MV3" と呼ばれる球団史上屈指の強力打線を形成した。
※この「鮮烈デビュー」の解説は、「アルバート・プホルス」の解説の一部です。
「鮮烈デビュー」を含む「アルバート・プホルス」の記事については、「アルバート・プホルス」の概要を参照ください。
- 鮮烈デビューのページへのリンク