鮮満旅行
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 14:29 UTC 版)
「履正社学園豊中中学校・履正社高等学校」の記事における「鮮満旅行」の解説
昭和初期には大阪の学校では珍しく、修学旅行で満州国へ行っていた。これは大東亜戦争(太平洋戦争)が進むにつれ、反日運動が激化したために打ち切られることになった。ルートとしては大阪から下関まで急行で行き、そこから船で釜山へ渡り、そこから朝鮮にて朝鮮神宮・朝鮮総督府・南大門などの観光をして満州へ入り、同国の観光をするといった経路であった。これを当時は朝鮮・満州の名前から取って、鮮満旅行と呼んでいた。1925年(大正14年)から1936年(昭和11年)まで11回実施され、771名の生徒が参加した。
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