髭切に仮託される刀剣
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/03 06:09 UTC 版)
「鬼切安綱」も参照 『太平記』で語られる鬼切と同一視されることが多い。これは北野天満宮がそう示していることと、鬼切に「源氏子孫代々に伝え、天下を守るべし」とされた一文があるためである。 鬼切は『太平記』の一節で語られる。伯耆国の鍛冶安綱が鍛え、坂上田村麻呂に奉じた。鈴鹿山で鈴鹿御前との戦いに使用され、伊勢神宮に参拝した際に天照大神より夢の中でお告を受けて奉納したという。その後、伊勢神宮に参拝した源頼光が夢の中で「子孫代々に伝え、天下を守るべし」と天照大神より鬼切を受け取った。頼光の手に渡ると、家臣である渡辺綱に貸し出され鬼の腕を切り落とし、後に頼光がその鬼を打ち取った。また、源満仲が戸蔵山の鬼を切ったことから鬼切と名付けられたとある。 北野天満宮が所有する伯耆国安綱作の太刀が『太平記』で語られる鬼切、鬼切丸または鬼切安綱であるとされている。この太刀は1927年(昭和2年)4月25日、昭和2年文部省告示第217号により、古社寺保存法の規定による国宝(旧国宝)に指定された(当該指定は、1950年の文化財保護法施行後は、同法附則第3条第1項の規定により、重要文化財の指定とみなされている)。1927年の旧国宝指定時の官報の「品目」欄は『太刀(鬼切)銘安綱附 太刀箱 一箇』である。しかし、文化財保護法施行後、文化庁監修により刊行された『国宝・重要文化財大全』別巻(2000年)では、指定情報から附指定である「附 太刀箱 一箇」の文言が消え、指定名称も『太刀銘安綱(鬼切)』となっている。同書は作品名称の変更や現状変更があった場合は当該官報の情報も記す凡例であるが、髭切については附指定の変更等についての官報情報は記載されていない。 銘は、当初「安綱」と切られていたが、「国綱」に改竄された形跡が見受けられる。改竄された理由については伝来していない。京都国立博物館研究員の末兼俊彦はこの安綱銘も、安綱ではない後の存在が入れた追刻であると見解を示した。古備前物とする意見もある[要ページ番号]。 長さ2尺7寸9分2厘、反り1寸2分3厘、元幅1寸7厘、刃文はのたれ乱れ。源頼光所持の伝説を有し、最上家に伝来したものが1868年(明治元年)に手放され、1880年(明治13年)に京都府、大阪府及び滋賀県の有志により北野天満宮に奉納されたとされる。 現在まで同社宝物館に保管され時節公開されており、2017年頃より「鬼切丸 別名 髭切」としている。
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