高倉範遠とは? わかりやすく解説

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高倉範遠

読み方たかくら

公卿元名教利、法名は宗紹。永宣の子仕えて従四位左兵衛佐に至る。天文20年(1551)歿。

猪熊教利

(高倉範遠 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/19 00:03 UTC 版)

猪熊 教利(いのくま のりとし)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての公家。初名は範遠(のりとお)。権大納言四辻公遠の子[1]。実兄の山科教遠言経の養子)の養子[2](後述)。猪熊事件の首謀者。


  1. ^ a b 『藪家譜』(東京大学史料編纂所蔵)
  2. ^ 系図纂要
  3. ^ 『京都諸知行方目録』
  4. ^ 言経卿記』『慶長日件録
  5. ^ 『校合雑記』
  6. ^ 当代記
  7. ^ 『角田文書』
  8. ^ 橋本政宣 編『公家事典』(吉川弘文館、2010年)「四辻家」「藪家」の項など
  9. ^ a b 林[2019: 219-232]
  10. ^ 御湯殿上日記』同年5月17日条


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