駅舎のその後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/13 00:02 UTC 版)
「オルセー美術館」も参照 駅舎はその後様々な目的に転用された。第二次世界大戦中にはドイツ軍の司令部が置かれ、戦後には解放された捕虜の受け入れ施設となった。1962年にはオーソン・ウェルズ監督の映画「審判」の撮影が行われた。また1972年からは劇場としても用いられた。 駅舎内のホテルは1973年1月まで営業を続けた。アルジェリア戦争中の1958年5月19日には、シャルル・ド・ゴールがホテル内の祝宴の間で政界復帰を表明する記者会見を行なった。 駅舎を取り壊して別の建物を建てる案も何度か提案された。まだターミナル駅として営業していた1935年にすでにスポーツセンターへの改築計画があった。その後もホテルや会議場、エールフランスのシティエアターミナル、大蔵省の新庁舎などへの転用が提案されている。 一方、1970年代のパリでは中央市場の取り壊しと郊外移転をきっかけに古い建物の保存に関心が高まっていた。1973年にオルセー駅舎は歴史的記念物の候補リストに入れられ、1978年には駅舎全体が正式に記念物に指定された。また1973年に、ジョルジュ・ポンピドゥー大統領の指示により、フランス美術館総局はオルセー駅を改装して美術館とすることを計画した。しかし、建物の保存と美術館への改装とを両立させることは難しく、計画はしばらくの間停滞した。1980年のコンペによりガエ・アウレンティの改装案が採用され、ようやく改装が本格化した。 こうして1986年12月1日、オルセー美術館が開館した。
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