首都劇場・スカラ劇場とは? わかりやすく解説

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首都劇場・スカラ劇場

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/02/08 14:41 UTC 版)

スカラ劇場 (ソウル特別市)」の記事における「首都劇場・スカラ劇場」の解説

1945年昭和20年8月15日第二次世界大戦終了し同年9月8日から1948年8月15日大韓民国建国されるまでの間は、在朝鮮アメリカ陸軍司令部軍政庁がこの地域統治した終戦当時に同館の支配人であった洪燦(朝鮮語版)(1909年 - 1964年)が1946年、同館を買収して復興、館名も首都劇場改称している。もっぱらアメリカ映画中心に上映した封切館であり、1957年3月25日には國都劇場同時封切として、『風と共に去りぬ』監督ヴィクター・フレミング米国公開1939年12月15日日本公開1952年9月4日)を韓国初公開行っている。 1962年4月経営者交代し同年8月27日70mmフィルム用の映写機導入して改装しスカラ劇場改称し新たに開館したこけら落とし作品は『ソロモンとシバの女王』(監督キング・ヴィダー日本公開1959年11月22日米国公開同年12月25日であった同年撮影された同館の写真には、『ヴェラクルス』(監督ロバート・アルドリッチ米国公開1954年12月25日日本公開1955年4月6日)が上映中であり、次週上映作として『女優ナナ』(監督クリスチャン=ジャックフランス公開1955年7月26日日本公開同年6月18日)が待機している看板写っている。 2005年までには閉館し同年12月6日には、70年歴史をもつ建築物解体入った。『ハンギョレ』の同月8日報道によれば文化財庁登録文化財登録することを同館の所有者予告したところ、所有者所有権侵害であると反発しており、早期解体行ったとのことである。韓国法律では文化財指定、または登録の前提として、所有者同意が必要であり、所有者による解体・撤去停止することはできない。現在同館の跡地には「アジアメディアタワー」というビルディング建っている。

※この「首都劇場・スカラ劇場」の解説は、「スカラ劇場 (ソウル特別市)」の解説の一部です。
「首都劇場・スカラ劇場」を含む「スカラ劇場 (ソウル特別市)」の記事については、「スカラ劇場 (ソウル特別市)」の概要を参照ください。

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