須佐神社_(田辺市)とは? わかりやすく解説

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須佐神社 (田辺市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/08 00:47 UTC 版)

須佐神社

社殿
所在地 和歌山県田辺市中万呂5
位置 北緯33度44分18.37838秒 東経135度23分54.57541秒 / 北緯33.7384384389度 東経135.3984931694度 / 33.7384384389; 135.3984931694座標: 北緯33度44分18.37838秒 東経135度23分54.57541秒 / 北緯33.7384384389度 東経135.3984931694度 / 33.7384384389; 135.3984931694
主祭神 須佐之男命
社格 村社
創建 神武天皇元年(紀元前660年
別名 牛頭天皇社(旧称)
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天王の森(岩船山)
須佐神社 天王池
須佐神社 航空写真

須佐神社(すさじんじゃ)は、和歌山県田辺市中万呂[1](なかまろ)に鎮座する神社須佐之男命(すさのおのみこと)を主祭神とする。旧社格村社

祭神

歴史

須佐之男命が曾志毛里より岩船山(天王の森)に到着し、木種を播いたとの伝承がある。神武天皇が即位した際に祭祀され、旧上万呂・中万呂・下万呂3ヶ村の産土神として牛頭天皇社となった[2]。現社地は天王池の正面に鎮座しており、岩船山の頂上の旧社地とおぼしき場所には磐座がある。

天正15年(1587年)、豊臣秀吉紀州征伐を行ったが、秀吉に加担した玉置氏が祭祀を行う神社であったことから戦火を免れた。

境内神社

祭事

文化財

  • 名勝

名勝「南方曼荼羅の風景地(2015年〈平成27年10月7日指定)の一部[3]

  • 田辺市無形民俗文化財
  • 「万呂の獅子舞」として1980年(昭和55年)8月22日指定[3]

脚注

  1. ^ 紀伊国牟婁郡中万呂村、西牟婁郡万呂村中万呂
  2. ^ 明治初期に出された神仏分離令のため主祭神牛頭天皇から須佐之男命に変更された。
  3. ^ a b 田辺市の指定文化財一覧表”. 田辺市教育委員会. 2016年5月21日閲覧。

関連項目




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