韓国国民からの非難と事態の収拾
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「議政府米軍装甲車女子中学生轢死事件」の記事における「韓国国民からの非難と事態の収拾」の解説
2002 FIFAワールドカップの後この事件が広く知られるようになると、米軍を糾弾する世論が広がり、多くの市民団体がデモ行進を行った。11月20日と22日に2人に無罪評決が言い渡されると、学生が死亡しながら加害責任者がいないと判断されたことに怒った市民らは11月26日に最初の集会を開いた。これは事件直後の6月の運動以後では最大規模の全国集会となった。また全国主要都市では、市民団体が集まって活動の方向を協議した。 キリスト教信者は、仁川で追悼ミサを開いた。さらに韓国キリスト教教会協議会でも2003年に執り行った追悼式でアメリカの姿勢に抗議した。 この事件はインターネット上でも広がりを見せ、在韓米軍を非難する世論を形成し、大規模な集会につながった。当時韓国国民の間で広く使われたMSN メッセンジャーを通じて、犠牲者を追悼することを示す「▶◀」「▷◁」という記号が広がり、ハンドル名や電子掲示板のタイトルに多用された(韓国では喪に服す際にこのようなリボン型の喪章をつける伝統がある)。この表示は以後、インターネット上で追悼あるいは哀悼の意を表す記号として広く使われるようになった。 このように宗教界も参加するほど盛り上がった全国的なデモ活動は、今回の装甲車轢死事件だけに限らず、これまで真相を解明することができなかった在韓米軍の犯罪、さらには2002年ソルトレークシティオリンピックのショートトラックでの判定など様々な要素が加わった。特に12月6日、ソウルで3万人あまりが参加した集会では、警察を振り切ってアメリカ大使館への進出に成功した。また12月14日に釜山で開かれた集会では、釜山の在韓米軍基地 (Camp Hialeah) 後門がデモ隊によって突破され、正門でも警察を突破した。この以外にも全国各地で、さらには国外でも在韓米軍を追及する集会が開かれた。 こうした運動の高まりに危機を感じたアメリカ政府は11月27日、在韓アメリカ大使を通じてブッシュ大統領の謝罪を伝え、12月13日にもブッシュ大統領が金大中大統領との電話で再度遺憾の意を示した。不平等だという批判があった在韓米軍地位協定 (SOFA) を是正することにも合意した。しかし国民の怒りは鎮まらなかった。 アメリカ政府は当時の指揮官ら4人を懲戒処分にした。また遺族たちは国家賠償を請求し、それぞれ1億9千万ウォンあまりの賠償金を得た。 一方、2003年4月、北朝鮮の平壌牡丹峰第1中学校は、死亡した2人の学生を名誉学生とした。
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