静岡理工科大学時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/24 14:34 UTC 版)
「星陵中学校・高等学校」の記事における「静岡理工科大学時代」の解説
英数科一期生の成功と、生徒の夜間送迎バス運行を開始するなど学費の追加なしで進学塾さながらのサポートが受けられると評判を聞きつけた保護者などから英数科への人気が高まり、新たに静岡理工科大学へのエスカレート進学と、いち早く取り入れたブランド制服(森英恵デザイン)を武器に1994年の男女共学化を成功させた。 1996年の英数科総合コースの設置と共に、学校全体の4年制大学への進学率が100%に達し、国公立大学や有名私立大学への合格者が顕著に増加した。 2002年には入試志願倍率が約10倍となり、自動車学園時代の負のイメージを全て払拭し、静岡県東部での進学校としての地位を固めた。 徹底した頭髪検査、服装指導などの生徒指導を行い一定の定評があり、校訓も朝礼などの行事のときに校長から名指しで校訓を問われる可能性もある(誠実なことで事に当たる、友情の和を広げる、厳しさを自ら求める) また、2011年に中学校の開設に伴い校舎が新築されており、校舎の外観は比較的に新し雰囲気を醸し出している。 静岡理工科大学系列高校であることから静岡理工科大学にエスカレートできることもあるため近年は人気が高い。専門学校も沼津や静岡に系列の情報処理専門学校を有し、コンピュータ教育は情報処理専門学校出身者を充てているので、コンピュータ教育も地域の中では充実している。ただし近年はこれらの志望者数の減少により、しばし開設されないケースもある。 経営には静岡銀行や鈴与などの静岡県内の企業も関与している。
※この「静岡理工科大学時代」の解説は、「星陵中学校・高等学校」の解説の一部です。
「静岡理工科大学時代」を含む「星陵中学校・高等学校」の記事については、「星陵中学校・高等学校」の概要を参照ください。
- 静岡理工科大学時代のページへのリンク