青野平義とは? わかりやすく解説

青野平義

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/26 05:18 UTC 版)

あおの ひらよし
青野 平義
本名 青野 元太郎
別名義 里村 元春
青野 太郎
生年月日 (1912-08-02) 1912年8月2日
没年月日 (1974-12-08) 1974年12月8日(62歳没)
出生地 日本東京府東京市麻布区六本木(現在の東京都港区六本木)
死没地 日本東京都新宿区
職業 俳優
ジャンル 映画、テレビドラマ、舞台
活動期間 1938年 - 1974年
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青野 平義(あおの ひらよし、1912年8月2日 - 1974年12月8日)は、日本俳優。本名は青野 元太郎。旧芸名に里村 元春、青野 太郎。

来歴・人物

1912年(大正元年)8月2日東京府東京市麻布区六本木(現在の東京都港区六本木)に生まれる[1]。生家は老舗和菓子屋「青野総本舗」で、店の人気商品「鶯もち」も「楽屋でも汚さず食べられる菓子を」と青野が提案したことで作られた[2]

慶応義塾商工部を中退後の1931年(昭和6年)、劇団自由舞台に入団し『どん底』で初舞台[1]。その後、家業を継ぐが舞台への情熱が忘れられず、1938年(昭和13年)に文学座演劇研究所に第1期生として入所する[1]。卒業後は里村元春の芸名で『若きハイデルベルヒ』『大寺学校』などに出演し、文学座の中堅俳優として活躍した。1963年(昭和38年)12月、喜びの琴事件を契機に三島由紀夫矢代静一賀原夏子南美江中村伸郎らとともに文学座を脱退、翌1964年(昭和39年)1月に劇団NLTを結成して社長に就任する[1]。自宅は青野の没後までNLTの事務所として使われ、夫人の没後は青野平義記念館として賀原が受け継いだ[3]

1974年(昭和49年)12月8日肝硬変のため東京都新宿区の社会保険中央総合病院で死去[4][5]。62歳没。

出演作品

映画

テレビドラマ

脚注

  1. ^ a b c d キネマ旬報1979、p.5
  2. ^ 麻布 青野の歴史、青野総本舗HP、2015年10月31日閲覧
  3. ^ 青野平義、新撰 芸能人物事典 明治〜平成、コトバンク、2015年10月31日閲覧
  4. ^ キネマ旬報1979、p.6
  5. ^ 『演劇年報』、中和出版、1975年、p.102
  6. ^ a b 東宝特撮映画全史 1983, pp. 535–537, 「主要特撮作品配役リスト」

参考文献

外部リンク





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