霧立のぼるとの結婚と別離
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「佐伯秀男」の記事における「霧立のぼるとの結婚と別離」の解説
1942年(昭和17年)4月1日から第二次世界大戦の戦時体制によって、全作品を映画配給社が一括配給することになり、各社の製作本数が激減する。佐伯はひきつづき同社に所属しており、同年9月付の東宝の俳優専属者のリストにその名がみられる。同年、共演者であった霧立のぼると結婚、佐伯は、同年末には、大日本映画製作(大映)に移籍した。翌1943年(昭和18年)8月25日には長女・治美(のちの女優・霧立はるみ)が生まれている。妻の霧立は、産前4か月に当たる同年4月29日に公開された『あさぎり軍歌』(監督石田民三)に出演したのを最後に東宝映画を退社している。同年10月21日には、京都座での川崎弘子の舞台初出演『すみだ川』が上演されたが、佐伯はこれに伊庭駿三郎とともに特別出演している。同年12月1日には、同じく京都座で永田一党の『船乗り動員令』にも特別出演した。 霧立とは1944年(昭和19年)には離婚している。霧立は同年4月には「霧立のぼるとあざみ楽団」を結成、浪花座を始めとし、実演の舞台に忙しかった。 1945年(昭和20年)1月25日に公開された『姿なき敵』(監督千葉泰樹)は、日本の国際放送「ラジオ・トウキョウ」を描いた作品であり、佐伯は宇佐美淳とともに出演、「小野放送小隊長」を演じている。北山節郎は千葉とのやりとりで「敗戦直後、フィルムは焼却された」との回答を得たが、東京国立近代美術館フィルムセンター(NFC)は同作の上映用プリントを所蔵している。佐伯は、大戦後の同年には大映を退社、1946年(昭和21年)、マキノ正博が撮影所長の時代の松竹下加茂撮影所に契約、溝口健二が監督した『女優須磨子の恋』(1947年)に出演、「東儀鉄笛」役を演じた。離婚した相手の霧立も、同年8月22日に公開された、同撮影所が製作した『東京特急四列車』(監督市川哲夫)に出演している。同年10月15日には、マキノが構成・演出した「『のんきな父さん』音楽祭」が円山公園音楽堂で開かれ、佐伯は轟夕起子、灰田勝彦、柳家金語楼、小杉勇らとともに出演しているが、この直後に小杉を主役にした映画『のんきな父さん』(監督マキノ正博)が製作され、佐伯はこれにも出演し、同年12月1日に全国公開された。
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