霊山の戦い(洛東江突出部)
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「釜山橋頭堡の戦い」の記事における「霊山の戦い(洛東江突出部)」の解説
詳細は「霊山の戦い(英語版)」を参照 防御線を形成する洛東江は馬山北方の霊山(ヨンサン)地区西方で西に突き出るように曲がっており、洛東江突出部(ナクトンガン・バルジ)と呼ばれた。ここは連戦で戦力を減少させたアメリカ第24歩兵師団が担当する地区で、北朝鮮第4師団(李権武少将)の進撃ルートだった。第24歩兵師団は展開にあたって洛東江の河岸から8キロメートルの範囲で住民を強制的に退去させ、多くの避難民が発生した。第4師団は補給難で士気が低下していたが、第24歩兵師団も開戦来の損害で戦力を減少させていた。 8月6日、北朝鮮第4師団は霊山へ向かう渡河攻撃を開始した。未明に開始された渡河はアメリカ兵に察知されず奇襲は成功した。アメリカ軍の戦力は不足しており、折からの猛暑で兵士も消耗していた。アメリカ第24歩兵師団は第9連隊(英語版)(ヒル大佐)を増派に受け反撃を行ったが撃退され、北朝鮮軍は渡河二日目には突出部東岸に橋頭堡を確保した。8月10日には重機関銃や榴弾砲などの重装備を渡河させた。第4師団は数日で師団全力を渡河させ、霊山は危急に陥った。 アメリカ軍は統一指揮が執れていなかったため、先任の第9連隊長ヒル大佐を長として突出部の部隊をヒル支隊と称した。 8月13日、予備兵力だった第27連隊が投入され、霊山東側の高地を奪取して周辺を掃討し、第24歩兵師団の危機は回避された。第27連隊は予備兵力として大邱に移動し、多富洞(タブドン)での戦闘に投入された。 連日の戦闘で第24歩兵師団は戦力を20パーセントまで低下させ、8月15日に攻撃を断念し防御戦闘に移行した。しかし、対する北朝鮮第4師団も渡河点への空爆や阻止砲撃のために補給は滞った。弾薬類が不足し食糧は切り詰められ、士気、体力が大きく低下していた。衛生材料も不足して負傷兵の治療も出来ず、労役に使っていた強制徴募兵は戦況の悪化と共に多くが脱走した。 第8軍は第5海兵連隊(英語版)(マレィ中佐)を投入すると、北朝鮮軍は8月18日に洛東江西岸に駆逐された。最精鋭部隊であった北朝鮮第4師団は大損害を受け、その後は洛東江での戦闘に参加できなかった。
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